カテゴリ:想い・思考・つれづれ( 6 )

祈り。それは私なりに・・委ねの道。

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フルグライト。砂漠に落ちた雷の衝撃で、砂がガラス化したもの。
雷管石とも、閃電石とも言われる。

私がこの石を知ったのは、だいぶ前だけれどナディアさんが出しておられる『クルスタルアライカード』にて。そこでは、嵐のエレメンツの石として紹介されていて、テーマは『祈り』

変容・変化を劇的に促す。そのための祈りを宇宙に伝える石、そういう存在感。

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原石も、大きいものは珍しく、なかなか見つけられない。石巫女などサロンでの活用のためにキープしておこうと思っているこちらの原石。上の写真で一緒に映っているのはいつもの作家さんのワイヤーワークが美しいシルバーペントップ。これららはリュミエールに出したいと思っていマス。

手にしていると、パワフルで細かい電流のようなエナジーを感じる。暖かくて、意外となめらか。「嵐のエレメンツ」に属するゆえに嵐のようなスピード感のある変容と、濃縮された自然元素が詰まったようなエナジーを齎すのでしょうか。

不思議で何ともいえない魅力のあるヒーリンスストーンとしてのフルグライトの個性とは何なのかと、この不思議な姿を見つめながら想いを馳せてみると・・・そもそも「祈り」とは?という問いかけへと流れて行く。。。

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19歳から29歳まで、私は仏教徒をしていた。幼い頃に母が細々と読経したり、色々な現象に先祖供養の観点から当たる親族の姿を見ていたけれど、そこで恐らく恩恵も受けていた一方で、思春期の頃、本当にいわゆるオーソドックスな霊現象というか、ヒョウイや、下手をすると霊障によって健康も人生もボロボロになるような展開を、目の当たりにしてしまい、それを何とか助け合おうと信仰の力で乗り切る人々、ヒョウイをあっという間に解いたエクソシストのような親戚のおじさんのカッコいい姿などを見ていたとはえ、幼い私が思ったことは(当然だと思うけど)『こんな世界いやだ、関わりたくない』・・

当然だとも思う。14歳にして、3歳のいとこに低級霊が入り、抜けていく様子を数十分に渡り見てしまったんだから。。そのよく分からないものと会話もしてしまった・・ショックは大きかった。

振り返ると、育った街が一年の半分は陰のエネルギーに包まれているゆえか、その暗い空の印象とともに、中学生以後の記憶は常に、まるでロシアの奥地にでも住んでいたかのような陰湿な空と空気の気配の中で思いだされる。実際に、実家の周辺でも「これは何かありますね」と素人でも思うような因縁の現象化がつづいて、所属していた信仰の世界ではそういう場合、「土地の因縁」と言って、地鎮対象になる。他、病気や家庭内の問題も然りで、先祖供養に励む。

どなたかご先祖のうかばれないエネルギーがその現象として出ている・・土地の因縁が・・と、問題が見つかるたびに人々は対処するという方法をとる。自分と、家族などの他者、他人、会ったこともない人、時には日本国や世界全体などの抽象的な事も。「何かあれば、原因に対して対処する」

その「対処」のもっともオーソドックスな方法は、修行や読経を通じておこなう「念願」というもの。つまり、祈りのパッケージだ。だいたい21日間など日数を区切り、時には「コーヒーのまない」などの「断ちもの」をして臨む。毎日自分で決めた読経のメニューをこなす。または「怒らない」「愚痴をいわない」などメンタルな宿題を自分に課すこともある。

誰しもがそれを真面目にやっているという訳ではなく、色んな会員が居たけれど、地域の集まりや女性の集い、若者たちの集いなどのユニットに所属して活動していると、その中で浮上してきたテーマを一緒に、「いつからいつまでこれをやりましょう」と修行のメニューにしたり、先輩たちから個人の問題を克服するべくおすすめの修行やお経を教えられたりする。

19歳、横浜で暮らしていた学生時代。血は繋がっていないけれど、優しくて暖かくて大きな太陽のようなものを感じていた親戚のおじさんが、急に病気で倒れたと聞いた時。今思うと不思議だけれど突然に、信仰をしようと想い立った。ネガティブな側面をたくさん見てしまい、スピリチュアルな事には関わりたくないと考えていたのに、今思うと不思議な決断だった。自分に出来ることは伯父のために祈ることだと何故かあっさりとそこに至った。私が信仰をすると宣言したことで、母や、信仰している母方の伯母や従姉妹はとても歓び、首都圏や関東での集まりに誘われるようになる。

それから10年。何となく所属している若者たちもたくさん居る中で、性格ゆえに私は火がついたように熱心に修行し、日々の念願、年に一度の修行の登山、観音経を1000回あげる(普通にいくと3年かかる)という修行を3サイクルもやってみたり、真冬の新潟で未明に108杯の水をかぶり、まだ暗いうちに金星に拝礼したあとに、過去生の懺悔を通すための長いお経を読む・・ などの若い娘としてはかなり目立つような修行振りだった。日本の土地を守る神々を大切にするという団体だったため、仏教ながらに神社への参拝をたくさんしていた。

折しも20歳から、偶然のタイミングだったけれど(もちろん必然なのでしょう)京都旅行で比叡山へ行って仏像と仏教の世界に引き込まれ、京都奈良へ沢山行こうと思い立ってまずは奈良へ友人と出向き、何の気なしに旅程に入れていた三輪山を一目見てノスタルジーを感じて、恐らくそこにあった元伊勢のエネルギーなどに導かれたのか、奈良と伊勢を中心に以後、ちょうど仏教徒時代とかぶるように独り旅&古代史・神話探求時代が始まる。。。

そんなことをどっぷりとやりながら、花盛りの二十代の青春も今思えばかなり濃縮した一時期、追い求めて駆け抜けていたかな。でも専ら自分が欲していたものは「スピリチュアル」だったと言えるかも。常に深い部分まで刺さることしか、やりたくなかった。恐らくインディゴ先発隊。魂に通うようなことしか興味がなく、それがハードロックのコンサートであったり、ニューヨークに引かれて語学留学することであったり。青春の矛先は、今の自分の表現に載せれば「タマシイ層まで響いていくこと」だったのかもしれない。刹那的ですぐに消えていくようなジャンルには、まったくもって興味引かれなかった。(だから恋愛なんて全くしていなかった。笑)

ちなみに所属していた信仰の団体は、それなりに全国に会員も居るようなところだけど、世帯ごとに小さな子どものおこづかい程度の会費のみ集めて、寄付やお賽銭は一切受けとらず、何か特別な祈祷などしてもらった時でさえ(その流れに乗るのはまさに天の計らいのような特別なケース)まったく金銭を要求されることなどない、本当に真面目な団体で、ひたすら先祖供養、自分の心を作っていくことに励んでいる。首都圏の若い集まりなどに参加すると本当に女性たちは美しいし、男性も今時ないような芯の入った凛々しさがあり、たとえば女性だと身のこなしや身なりなども気をつける空気があり、信仰によって人が磨かれるとはこういうことかと、二十代の自分なりに学ばせて頂いた。

地方に行くとそれなりにまた状況は違っていて、それを「土地が持っている因縁」ゆえだと説明することもある。中央で常識的に皆が出来ていること、開いている意識が、地方に行くとまったく通用しない。何か負のスパイラルが発生し、グループ意識が下がっているのが分かる。また各地域によって、その土地の歴史的なカルマなどから、実際の会員たちに現れる傾向(たとえば晩婚や病気など)に影響が出るとして、その土地が持っているテーマに皆で取り組んだりもする。

幼い頃から自然体で信仰していたという仲間が多い中で、19歳で自ら決断しその世界に参入したのと、プライベートな自分も土地巡りや歴史に浸かっていた故だと思うけれど、グループ意識ごとはまり込んでいる「土地の因縁」のエナジーを何とか解こうと、自分としては改革・革命?を起こそうという勢いで・・鎌倉仏教の始祖たちの、あるいは世界史の中で人民の意識をひらくべく新潮流を説いて矢面に立つような、そんな勢いでプロジェクトしていたこともあったっけ。。恐らくたくさんの過去生で、信仰、宗教、人々の意識、抑圧や弾圧などを味わっていたものを、その二十代でなぞっていたのだと思う。

スピリチュアルなことに関して、そして実際にその力が作動する場や現象の中で、様々に交錯する良いものも重たいものも、かなり密度濃く味わった。そこに自ら踏み込んだというか・・そうはいっても、今のようなエネルギーと宇宙的力学の知識はそこでは与えられていないので、心身ともにダメージも多い。高揚する場面も、力を頂くことも多々あるけれど、個人として自分という領域を守る術はこれといって無かった。プロテクションの究呪はもうソラでいつでも繰り出せるように皆、親しんでいたけれど(今でもたまに出てくる)、内容を吟味するとまるで「呪い返し」であることが分かる。だからカルマが出来る。それにまた対応する、その繰り返しであると今では見えてくる。

「祈り」も同じだと、実は思っている。

信仰というスタイルは、個々の人間を苦しみから救う力は確かにある。けれどその先は・・

人間とは、本来なんであるのか。自然界と、故郷である宇宙とどのように繋がっているのか。それとどんな風に響き合い、影響を受け取り、結果、良いことや良くないことへとそれが現象化しているのか。良いことを更に拡げていき、良くないことの元になっている要素を(カルマを作らず)なくしていくには、どうすればいいのか。。。

本来、すべての信仰にはそのエッセンスが含まれていた筈だけれど、どこかで、その宇宙の普遍愛の中で機能するシステムに関する叡智は、一斉に失われてしまった。小さく弱いものとして信仰の力で何とか生きていく・・・実際に歴史の流れの中で、「普通に生きる」ことも侭ならない状況にある人々には、信仰が必要であったし、今もってそうだろうと思う。心の拠り所があれば、人は希望とともに強く生きようとする。

ニューエイジの世界でも普通に行なわれる、祈りやそれによく似たものは、違う視点からするとカルマをつくっているとも言える。お互いに影響・作用しあう力学が結びついてしまうと、いつか解かなくてはならない、良いものであっても「しがらみ」になる。これは、人間レベルというよりはソウル、スピリットレベルのお話。今のニューエイジも色々だろうけれど、私が思っているメタフィジカルな「道」のようなものは、自分自身の分身である「ソウル」ではなく、一段高いシステムに居る自分=スピリット(いわゆるハイヤーセルフ)のエネルギーと意識に近づいていく道のりだろうと。

祈りを上手に使い、できれば周りの人々の苦しみや、世界に向けることで結果が現れるならばそれで良いと思う。ただ、こういうジャンルで仕事をして、体験も積みながら10年以上を経てくると、「祈り」というものについても、そこに様々な周波数があり、気を付けて使わないと結局はエネルギーの応酬を生み出すことが分かる。ゆえに「カルマ」。

「祈り」という言葉はたくさん、仕事の中で使っているし(「〜の祈り」など)これからも不可欠であるけれど、自分自身の「願望」にせよ、他者への「こうなってほしい」という想いにせよ、宇宙のより高い視点から見ればそれはエゴであるに過ぎない。だから、なるべく純粋な「意図」に変えて、そして宇宙への宣言、つまり「宣誓」「コミットメント」として自然体で日々、活用していくのは良い。「願い」がどこから始まって、未来の先にそれがどう自分に具現化するかを深く感じたり考えてみると、その出所がエゴであるか、純粋な宇宙とのエネルギー作用のコラボレーションであるかが、見えてくる。

つまり人間として、人間の自分のあれこれを満たすことを願う、そのための祈りはエゴから来る。その祈りは、うまくいって成就されるかもしれないけれど、エゴセルフのレベル(人間の人格)が起こした力学だから、そこに自分を縛り付ける。もちろん、人はみなこれをやり乍ら生きているし、悪いことでは全くない。願う事、それに基づいて祈ることは、ごく普通の感性の働きだ。

けれど、地上の「パーソナリティ」(人間)レベルで動かした力学は、スピリットの層から見れば自分の魂の子供であるソウルの転生のタペストリーに交錯している雑音のようなものかもしれない。エイっと上に引き上がる、宇宙愛への回帰にとって、それは小さな画鋲であちこち留められているような状態。原因と結果の繰り返しを、またこの層に戻って続けていくのだろという、そのための布石たち。

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恐らくまだ「画鋲」が必要、「画鋲」で留めておきたい人と、もうそれは抜けて行く事が生まれてきたスピリットの目的であると深い所で分かっている人が居る。殆どは前者だけれど。

「委ね」とか「あるがまま」とか、言葉は簡単に飛び交うけれど、

色々な情報に「混乱している」という言葉も、サロンのクライアントさんたちからよく聞いている。もちろん、そもそもこういう世界で「情報を得て落ちつく」ことは不可能で、情報をある程度、それも選び乍ら集めたら、その先は自分自身の内側で、エネルギーの力学を起こさなくてはならない。自分の身体の細胞と、オーラフィールドに融け込んだものを発信していくと、聞いた人・読んだ人にもその作用が起こり、エネルギーは動き出す。それが、情報を得て、情報のまままた横に流すような現象も起きているために、それを見た人たちのエネルギーは動かず、ただ頭だけが動いて混乱する。

三次元人間をたくさんやって来たから、誰しもが恐れるし、何かに「委ねる」なんて怖いと本能的に思ってしまう。けれど、誰かよく分からない大きなものに委ねるのではなく、自分自身の高い所に委ねるのだと思えばいい。それと、自分自身とは、その高い所から今ここに滴が垂れるように降りてきた存在であると思うことで、委ねがやりやすくなる。

地球という地図の上にたくさんばらまかれた自分の分身たち。転生してきたソウルたち。そこで関わった様々な他のソウル、土地や事象などに宿るエネルギーとも、人は絡み合いながら繋がり合っている。今を生きる自分が幸せであるかを、メタフィジカルな目的だと思っている人は、それで良いと思う。それを大前提として・・(そこを通過しないと進めない訳で)・・・より高い視点からの自分自身のスピリットの眼差しを、人生に感じている人は、その眼差しこそが自分が戻る視点であると感じている人は、今生の自分のソウルが落ちついて来た、『願望』はもう要らないと感じるようになった人は・・・

画鋲を少しずつ、外していく行程に入ってみると良いのかもしれない。

それが「委ね」だろうと思っている。

その潮流が見えて来る頃には、委ねる恐れというのは、なくなっている。

だから、恐れるうちはまだ、無理せずに「願い」「祈り」「受け取り」「感謝し」「そこで生まれたものを引き受ける」この循環の中に、生きるのだと思う。

潮流が見えることは、楽しい訳でもなく、今の人類が居る世界がそこから離れている分だけ、両者の間に居る者は、切なさを感じる。マリア様や観音様の「慈悲」は、そういったものだと思う。高次存在たちが、人間に対して感じる愛が「哀れみ」であるのは。そんな慈悲の心境を持ちながら、ソウルを選び、スピリット層が直に高いパーセンテージで自身の要素を流し込み生まれて来た人たち(=いわゆるライトワーカー)が居て、そういう人々の場合、そこに気づかず、またはそれを恐れて避けるような回り道をしている間は、苦しさ、居心地の悪さ、現実の循環の不具合が続く。

ちなみに、本当にそれを分かって降りて来ているスピリットたちは、慈悲という痛みを携えてやって来ていて、まずは人間の身体の中でそれを越えていくことに励み、それが成就した時にはホっとした委ねの境地に入るので、『自分が特別な存在である』と地上人類的な虚栄に入ることは無い。それすらも委ねられるはずであり、祈りと委ねが一体となっていく。ただここに在る自分を使って下さいとスピリットに委ねる。それは安直に使われる「もう犠牲は要らない、人生を楽しもう」というお話とは全く波動が違っていて、人生を楽しもう・・の想いが実際に満たされるか、その奥にあるものを知ってしまい三次元的願望を越えてしまうか、どちらかによって自然に至る境地だと思う。

フルグライトを眺めていたら、最近思っていたこととを吸い寄せ、随分と思考が展開してしまった。。。(長過ぎた/笑)

このくらいにしておきます。

Love and Grace,
Amari
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by energyandcrystal | 2015-07-11 08:33 | 想い・思考・つれづれ

男性性は「設定」次第?

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レザー製品というものは、私の中では「社会で生きる自分」つまり「男性性」要素の象徴のようなもの。若い頃も好きでした(独身貴族時代/笑)が、その後、好き好んで「苦学生」に逆戻りし、そこから一児の母へ、主婦へ、貧しいシングルマザーへ・・・と移り変わっていくなかで、本革製品からはやはり遠ざかっていた時期がありました。

大げさに聞こえるかもしれませんが、でも今思えば生活はまったく違い、姉が買ってはいらなくなったそれもお値打ちな(シ●ム●とか)服などが宅急便で届き、有り難く着ていたような時代もありました。若い頃に買い溜めたブランド服やCDや、売れそうなものはすべて、貧しかった新婚時代に売ってしまったので。赤ん坊だった娘の児童手当(今でいうこども手当)と、シングルマザーが頂ける扶養手当くらいしか(月5万円以下かな)収入が無い中で、2000円のアイテムをネットで買うにも罪悪感に苛まれ諦めたり、500円の本を書店で買えずにトボトボと帰ったり。そんな時代もありました。

保育園に入るという時に、今の仕事を何とか間に合わせて開業。とにかく必死でしたネ、そうでもなかったら、トボトボ生活をもう少し長くやってしまったかもしれません。両親の家に同居でしたから、出来なくもなかったので。2004年に開業し、最初は破れかぶれでしたが、3〜4年経った頃でしょうか、シングルマザー用の児童扶養手当の所得制限を越え、頂けない(ほど稼いでいる)という認定を。。(笑・たいして稼いでなくても、少しでも安定するとダメなんです、日本の制度は)いただき。それから、お陰さまで基本的にはずっと、右肩上がりというのでしょうか。後退することもなく、少しずつですが自転車操業の車輪も、大きくなっています。開業5年目くらいから、有り難いことに消費税を払わなくてはならないラインも越えさせて頂きました(笑)。

もちろん家族の協力により支えられていましたが、資金があったわけでもなく、その点では援助が(親から)あった訳でもなく、ネットショップもノウハウがあったわけでもなく。ヒーリングもヒーラーとして開業してから尊敬する先生のところへ2年弱通い、多くを学ばせて頂きましたが、それ以外は基本的にはひたすら独学。瞑想やセルフヒーリングの日々を繰り返し・・(習いに行く心と時間とお金の余裕が最初のころは無かったのですから)ひた走ったなあという。

少し落ちついて来たころに、大阪まで、あるお勉強に通っていたことがありました。そこで起きたある出来事から、ひどく落ち込んで・・それが(ある意味その怒りが)不足していた火のエレメンツを私の太陽神経叢の中で燃やすことになり。帰宅する途中に寄った百貨店で、久しぶりに革の、それもごっつい質感のバッグと、今でも愛用している革の手袋を買いました。何となくその時も自覚として、それが自分なりの「私はグラウンディングしっかりしている。こう見えても社会性もあるれっきとした働き手だ」という、象徴としてレザーを持ちたいという気持ちに、衝動的に向かったのだろうと思います。

実は、まだそんな苦労時代に入る前の、二十代で、自分のことだけ考えて親元で暮らして安定した仕事をしていた、ほんの3年くらいの短い『独身貴族』時代には・・・ロックな姉さんだったので、職場はちょっとゴシックな黒系のベルベットとか薔薇もようの(コンセプトは「貴族」/笑)ロングスカートやワンピースを着て、靴はなるべくごっつい革。そして24才でロンドンに行ったときには、ほんとにロックバンドのメンバーが着ているようなロングの革コートを買って歓んでいました。(もちろんそれは、新婚時代に売りに出しましたが)

本来は革好きなのです。(動物愛護の観点から、レザーを考えると申訳ないのですが・・)

2008年だったでしょうか、大阪からの帰りの失意の中で久しぶりに買い求めた革製品で、昔の自分の何かが再び目覚めました。それ以外でも、なるべく良いもので自分の周りをしつらえると運気が変るのは確かなので、少しずつ、ゆとりが出るたびに少しずつ、着るものや持つものを変えていきました。確か、奈良のサロンを出したのはそのころ、2008年の冬だったかと思います。

たくさんの石たち、そしてサロンを出したことで家具を買いそろえるべく、アンティークにも興味を持ちました。今の横浜のサロンや自宅にある家具は、殆どその頃に凄い勢いで買いそろえたもので(笑)、当時は両親と同居だったので生活費が今とは比べ物になりませんでしたが、結局、今思えば今にも通じているような必要なアイテムや石たちを、確保していた時期だったのでしょう。なのでゆとりが無い、自転車感覚は今と同じでした。それでも、この仕事をしてきて、見えないものから見える世界や空間が、石たちとともに出来ていくことの歓びに、高揚していた幸せな時期でした。

本当に皆さんに言いたいのは、お金や豊かさというものは、ただ恐れを捨てて自分を信じて宇宙を信じていくことで、必要なものは用意される、ということ。カレッジやサロンで話していても、やはり(当然ですが)皆さんお金に対する(失うことや不足する事態になることへの)恐れを抱えています。何か特別なセイフティネットが私にあった訳でもない。ただバカみたいに信じ続けて走り続けました。それだけ・・そして今は、豊かさの法則の量子的な意味とコツを、掴むことが出来たと思っています。恐れて慎重になったり、心配した分だけ、お金は遠ざかって行きます。それを忘れないで。

2010年の3月、今もサロンの顔になっているロシレム神殿がご縁あって来てくれたことで、なぜか、横浜へ出張しようと思い立ちました。その時に、新幹線に乗ることもホテルに泊まることも久しぶりだったので、更に一段階、着るものから持ち歩くものをより良いものへと。色々と調べて買い集めました。その中で、文房具とかサイフとか靴とか、男性性を象徴するようなものを良質のものにすると、社会性や経済的な運を呼び寄せることが出来ると改めて感じて、実行しました。

もともと自然派も好きだったので、リネンや布製品にも拘りはじめ、久しぶりに泊まる、それもセッションでお客さんに来て貰うことからグレードの良いホテルだったので、そこを歩いていて恥ずかしくないようにキャリーケースや、自分にとってはとても贅沢なお値段の革のバッグを新調し、いざ、出張へ。それを2度、行なったときに・・・今の、娘の学校にご縁が出来、2人で横浜へ「親子留学」のための引っ越し。最初の横浜出張から、半年も経っていませんでした。

奈良でかかっていた生活費の、2倍、やがて3倍へと、出費がふくれあがっていく中で、何とか必死で稼働して、それでも「心配すること」は決してせず、常にお金に関してはポジティブであろうとしてきました。自分が動けば、働けば、必ず必要なものは揃う。ただそう信じて。そして宇宙は、高次の自分は、本当にそのように機能しました。横浜でも1年半で引っ越しをし、サロンを自宅から外へ。憧れていて「まさか」と思うような青葉台の徒歩圏内で、サロンを見つけて。自宅も見つけて。犬たちを迎え、一人、二人、そして三人目をこの春に迎え。娘の学費も年々上がっていますが、何とかなる。常に何とかなっている。それは、「何とかなる」と自分で信じているから。

娘は「ママがこうしたいね、と言い出すことは、必ずかなっていく」とよく言います。なので、最近わたしが「こうしたいね、無理だよね」と呟くことがあると、娘のほうがそれが実現すると確信しているような所がある。その意味では、良い「背中具合」を、母としてまた父として、娘に見せてこれたと自負はあります。

そしてこんなことを通じて、三次元の物質社会を、楽しんでいるのかもしれません、私は。やってみたかったんでしょうね、スピリット。(笑)

とはいえ、「物理世界ゲーム」はもう卒業宣言をし、最近では優雅にゆるりと楽しむコツも掴んで来ました。開業を考えているヒーラーさんの卵さんたちがたくさんいらっしゃいますが、扱う領域は三次元を越えた高次エネルギーだし、その宇宙の法則に沿って仕事をしていくはずなのに、なぜか頭の中では三次元のお金に関する不安を抱えているという不思議な状態に、皆さんが陥っています。気づいた人から、そこを変えて行けると良いですね。サロンは、自分を信じてガイドたちを信じていられれば、うまく回っていきますよ。そういう世界です。そしてそこには「責任」がいちばん試されます。自己波動責任ですね。。自分が放ったものを、結果として受け取る。それさえ分かって、それを受けとめる気概さえあれば、大丈夫です。(そしてちゃんと受けとめて下さい)

さてさて、
話が逸れてしまいましたが、少し前の読書会やカレッジで、女性性と男性性について話していたとき。自分の女性性をうまく輝かせていくには、自分の中の男性性を機能させ、その活動力によって女性性のあるがままのパワーや存在感、愛などを「運営」していく必要があるでしょうね・・と語っていました。振り返ると、ずっと変らない自分が少女として、女性として、母親として、まっすぐ変遷していく中で、ではそれと社会性をどう絡めていくかとなると、そこには自分の男性的要素が、そのときどきであり方を変えて、外への、社会への、家族も含めた自分以外の人々への、アウトプットや表明に、なっていたと思います。

そんな会話をしていたすぐ後に、サロンで「ガイアコネクションwithヴァイアマス」のセッションをさせて頂いたある日。ガイアは、ただ在る。女性性は宇宙において、最初に生まれて、生み出し育む力として、ずっとそのまま、「在る」ことをする。ただ「在って」、産んで、育んで、見つめていく。そこに、男性性の宇宙の壮大な意識ヴァイアマスが、地球を運営するために、大いなる意図のもとで、「婿入り」する。宇宙における、惑星の「聖なる結婚」(ヒエロスガモス)。

「男性性は、ある意味で純粋、ピュアで、無垢で、設定自体でいかようにもなる。破壊的な時代を創りたかったら、ヴァイアマスの設定をそうする。分離の時代、調和の時代、女性的なヴァイアマス、男性的なヴァイアマスの設定により、ガイアとのバランスに様々なヴァリエーションがその時々で生まれ、結果として、ガイアの帯びるものが変る。それが地表世界や文明に影響を与える」という情報がやってきた。。。

そして、
「これからの新しい文明期を人類が迎えていくために、ゆえにヴァイアマスの設定、プログラムに働きかけ、変えていく必要がある。それを行なう役目がある」と、その方へのリーディング。

もちろんお一人で、ということは無いのでしょうけれども、そういうグループの方々がいらっしゃるということでしょう。

「一体どうやって、ヴァイアマスのような大きなものの設定を変えるなんてことが出来るのだろうか」と私もう〜んと考えていると、お客様ご自身がその方法に気づかれました。なるほど!

そんなこともあり、ヒトのレベルでも男性は、女性よりもピュアだったりします。クセがあり、アストラルな影響が強い為に自我を変えにくいのは、男性よりも女性だし、恐らくどんな時代でも、あまり変らないのが女性ではないかな。対して男性の変遷が、この文明期の歴史の変遷だと言えるくらいに、男性というものはそのときどきで自身のスタンスやあり方を変えていくのではないか。ヒトレベルに照らしても、なるほど納得でした。

ということは、逆説的に。。。
母なる地球、母なる宇宙、産んで育むものとして、慈愛をそそぐものとしてずっと変らないという核を生命原理として持っている女性たち。そこにかぶさる、前時代のもはや不要なスタイルのインプットとしての男性性を、新たな時代の設定=女性性に寄り添い調和の時代をもたらし、キープする という設定に、変えていけば良いのです。

そしてそれは、単に生命形態としての「男性女性」の話ではなく、女性たちも、自分の中の男性性の設定を、変えていかなくてはいけません。どんな風に?

恐れや分離が、人類をコントロールしてきたこの1万年ちょっとの「設定」から自由にならなくてはいけません。それは本当に「設定」に過ぎないと、まずは知らなくてはいけません。

そして、恐れや分離にもとずいた、心配で先回りするような男性性の使い方を止め、自分の中の女性性を輝かせる、それを持ち上げて活躍させるような形での、男性性を自分の中で育てて認めていく。自分自身の中に、調和の時代の設定を作り上げていく。そうすれば、女性的な表現としての「地球に優しい、人に優しい」貴方のお仕事や人生は、ごく自然に現実に顕現し、うまく流れていきます。

もちろん男性にも、同じ事をお伝えしたいです。

自分の中の「男性性」設定、見直して修正してみませんか?

そして大きなお仕事に意識が向く方は、地球の奥深くで結ばれているガイアとその夫であるヴァイアマスの、プログラミングが変っていくことを意図しましょう。アクエリアス時代に向けて。

いつもと違ってなぜか「ですます」調で書いてしまいました。

Love and Grace,

Amari
Arganza: http://www.earthkeeper.jp/arganza/
世界樹 books:http://www.lumiereblanche.net/works/index.html
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by energyandcrystal | 2015-03-30 10:16 | 想い・思考・つれづれ

太陽の力、そしてバランス。

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この秋に迎えたトパーズファミリー。思い切った石との出会いは、やはり大きなエネルギーシフトを齎します。明日、新ワークをリリース予定なのもこのファミリーが来たことで開いた事だったし、今月初めの江ノ島、ショップの5年越しのトップ画像の変更、そして3日前に無事に終えたセイキムレイキのセミナーも・・これらファミリーの存在感あればこそでした。

その流れの中で、画像を用意してタイトルを決めてから、もう一月近く。こちらのブログはそうなりがちなのだけど。今は今の自分の自由な筆で、書いてみようと思います。年末のご挨拶も兼ねて。。

関連記事(メインブログ:世界樹の木影で『陰陽を越えて、すべてなるものへ』

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陰陽の法則は、宇宙の普遍法則ではなく、ソーラーシステムや宇宙の層が変われば、自然界の元素ももちろんのこと、エネルギーの仕組みも変わるのだろうと、前にも書いた記憶がある。水といっても(科学的な意味ではなくエネルギー的な意味において)、地球の水と金星の水では違う。。遠い宇宙へ行けば尚更のこと。

カレッジのための学びで、自然界の四元素は「宇宙の生命の木に最初に現れる四つの封印である」という記述に出会いましたし、さらに四元素の元になっているというインド哲学のトリグナ、三つの「物質自然」のサットヴァ、ラジャス、タマス、これらも「この世界」を束縛しているものであるというような表現を見かけて、「そうだよなあ」と思う最近。

つまり、宇宙のどこへ行っても同じ自然法則、更には物質と非物質をとりまく状況や仕組みはみんな違う。私たちからすればただ光がある、みたいな世界もあれば、音だけが静かに鳴っているというような世界もあることと思う。

そして私たちの地球の歴史。いろいろ・・一般で言われる短い歴史ではなく、メタフィジでいう本当の歴史。数百万年規模の・・・その間だって、地球をとりまく自然および人間、高次、地中、天空のありようは色々だった。そして私たちに関係するのは、今とこれから、何が必要かということ。

与謝野晶子のいうように日本の主祭神が女神アマテラスだからという訳ではなく(アマテラスのオリジンは男性神。ただ伊勢にあるエネルギー、本当の国土の母神は白山姫と思う)・・・これからの時代の女性たちがどうあるべきかということを考えていくと、今、男性社会、左脳的物質主義社会が崩壊する段階で、女性的な時代への移行が既に始まっている。そこで生きる私たち、女性たちは、受動的であってはいけない。でもまだ、DNAや家庭から影響を受けた受動のエネルギーが染み付いている人も多いと思う。

月は太陽を受けて光っている。地球への影響は大きい。でも、地球の周りを回っている。太陽は恒星であり、自らが燃えることで周囲にあるソーラーシステムの惑星およびその周囲を巡る衛星たちを動かし、生かしている。

先に何かがあり、そこへの反応として生きている時間。そこにあるものを観察して、評論したり何かの具材にしたりする(・・ことを女性は好みがちだけれど/笑)。直ぐ側にある手が届くものに囲まれて、遠くにある世界を忘れて過ごす・・地球の大きさ、世界に住む人々のこと、地球の先にある本当の広がりの存在を、頭や心に通すことのないまま、受動的に生きる。テレビやメディアに囲まれ、「見ていること」に慣れてしまって過ごす。女性に限らず、歯車の中に在る男性たちも然り。

分離意識、そこから生まれる競争、支配と利己・・・男性性の側面のネガティブな力が、主に地球の最近の歴史を回して来た。そんな中でも根強く芽生え花を咲かせてきた芸術文化は、女性的なエネルギーと言える。肉体の性別のことではなく、エネルギーや、脳の機能のこと。

だいぶ余談な気がするけれど、これを書いていて思い出したことをひとつ。
何年も前にテレビで、瀬戸内寂聴さんと、ほかお二人の文化人の女性(どなたか忘れてしまった)が「源氏物語」について対談をしていて。源氏に出てくる女人たちを様々に評論しているのだけど、その中で、「朝顔の斉院」のことを寂聴さんが「ほんっとにつまらない女よね」と酷評されていたのがとても印象的で・・

朝顔の斉院、朝顔の君とはどういう人かというと、源氏とは確かいとこで、少し年上。初恋の人とも言える幼なじみだけれど、再三の源氏の求婚を最後まで退けつづけている。ウイキペディアを覗いたら、こんな風だった。

源氏が若い頃から熱をあげていた女君の一人で、高貴の出自のため正妻候補に幾度か名前が挙がり、正妻格の紫の上の立場を脅かした。姫君自身も源氏に好意を寄せているが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った女君たちの顛末を知るにつけ妻になろうとまでは思わず、源氏の求愛を拒み続けてプラトニックな関係を保ち、折に触れて便りを交わす風流な友情に終始した。朱雀帝時代から斎院を長く続けたため婚期を逃し、そのまま独身を貫き通して出家、物語の表舞台から消える。

これを、羨ましいとは決して思わないけれど(私は明石上が好き)、「つまらない女」とも思わず、むしろ賢い女性だと思っている。生まれも宮家で、長年、斎院として神の社で巫女として仕えている生活をしていて、心の清さ、気高さがあったのだろうし。当時、源氏もよくやっているように、女性の意志にかかわらず男性がエイっとモノにしてしまうことも多かった中で、毅然として距離を起き続けた彼女の態度こそ、「能動的」であり、自らの意志を通した、その時代では珍しい女性の姿ではないかと思う。

そんな「つまらなさ」ならば、あっぱれだと。。思う。寧ろ幼いうちに源氏に引き取られ源氏のいいなりにしか生きられなかった紫上のほうが、余程、お気の毒。ほとんどの女性が出家していく源氏物語を書いていた紫式部は、紫上を育てた先に最愛の妻にする源氏のあれこれを描きながら、きっと本当は、朝顔のような女性を「カッコイイ」と思っていたのではないかしら。余談でしたが、女性性を考えるのに、源氏物語もよい具材になる。本当に色んなタイプの女性が登場する。源氏は「影」でしかなく、当時の制度や風習の中で憂いを抱えて迷いながら生きている影。それにきっと作者は源氏を自分の分身のように思っていたのではないかな。自分の中の男性性、ツインソウルのような気分で書いていたに違いない。

なので、数年前に製作された源氏映画で、実は紫式部がボスである藤原道長の愛人で、道長への恨み節で源氏を描いたという設定は、本当に・・本当に・・違うと思う。あの物語にはもっと能動のエネルギーを感じるし、紫式部の男女を越えた人間愛のようなものも感じる。男気がないと、あんなものは頭の中で展開できないし、アウトプットするパワーにも繋がらない。恨みから、真の芸術、真の価値あるものは生まれない。・・・と、熱く語ってしまった。


男性性が持っている支配・征服への欲求から、女性は受動的であるほうが良いという概念が固定されてきたと思う。対等なバランスで男女が在るという想定をすれば、必要な女性性のあり方はまったく違ってくる。まず、ありき。男性と同じように、まず、在る。同じように考え、行動する。足りないものを補い合う。そのために必要なパーソナリティとなれば、もう個々の相性、愛情、価値観や性質に拠るということになる。そうなっていくと、あれ?男性らしさ、女性らしさ、の概念も見失ってしまうし、最後には人間愛、人類愛となる。

そこに行き着くと、じゃあ今のような結婚制度は必要なのか、分からなくなる。そうして話は、多くの人々の理解の域を超える層へと発展してしまう。そもそも、結びつくとはどういうことか、と。なぜそれが必要なのか、と。究極的なことを言えば、エネルギーだから必要なのだと思う。

自然界の四元素でさえ、この世界を特徴づけ、人間を物理自然に「縛り付ける」封印としての法則なのだから、ましてや、男女の社会的なあり方となれば、もうほんの表層、その短い時代に生まれて続いているに過ぎない概念、思い込みとも言える。そんな呪縛にまだ、囚われている人が多い。そして日本は第二チャクラ的な男女バランスは割ととれているのかもしれないけれど(男性が女性的)、精神の面でのバランスはかなり世界でも遅れている。その原因はと考えると、恐らく第三チャクラ的に、女性の自立感が弱いのだと思う。

だから、日本の女性にこそ必要なメッセージ。「女性は太陽だ」
第三チャクラ、太陽神経叢を鍛えて、自分という軸を常に持っていないと、まず男性ありき、そこに合わせる・・というと聞こえはいいけれど、自分で選択し責任を引き受けるという大人としての自己の擁立から逃げていることになるだけ。「社会」もある意味「男性」だ。対社会でも・・そこにあるものを受容して、合わせていくことが美徳だとは、この先の時代は思わずに行きたい。

そうかと言って、男性の真似をしてはいけない。偏らずに、新しい時代を拓く為に右脳的感性が主導権をとる賢い女性性の創造的パワー、産み出す力、育む力、調和する精神を、まだ社会の呪縛ゆえにその先が見えにくくなっている男性たちに、「教えてあげる」ことが出来るような、心の強さを持つ。そして、説得力を付加するには、それなりの中味を造らなくては、男性たちには聞いてもらえない。女性の弱みは感情的であること。アストラル体をメンタル体が凌ぎうまく統御し、サットヴァが主導するラジャス・タマスの程よいバランスを造っていこう。。

太陽を第三チャクラに。
揺るぎない自分をつくろう。内なる恐れや、どこからともなくやってくる分離エナジーに負けずに。

創造しよう。創造は、太陽の力。どこの宇宙の層へ言っても、源である太陽は育む力=母。

男性も女性も、自分らしく在ればそれでいい。ツインバランス。

自分を制限するものを一つ一つリセットし、「ただ在る」ことで産み出される自分という力、そんな力が重ね合わされる他者との対等なバランス感覚と共同創造を、楽しんで行ければいい。

Love and Gratitude,

元旦のご挨拶、新ワークの紹介をメインブログにて予定しています(遅れたらスミマセン、、)
http://sekaijunokokagede.cocolog-nifty.com/blog/

能動的に自分らしく輝ける、太陽のような2015年を!
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by energyandcrystal | 2014-12-31 09:22 | 想い・思考・つれづれ

独りで生きなさい

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日頃、耳から「声」という形でチャネリングをする訳ではない私。どちらかというと自動書記系であるし、高い周波の宇宙的なサウンドやエレメンツの流れのようなものを「聞く」ことはあるけれど、音というよりは言葉そのものやヴィジョンでメッセージを受け取ることの方がずっと多い。「声」を聞く体験というのはそれ故に、稀な体験と言える。

そんな中で、忘れられない出来事。2009年の春頃だった。

当時、三輪山(奈良県桜井市)を望むサロンで、来客のない昼下がりに、カーテン越しの柔らかな日光を受けて輝く石たちのキラめき、美しい光の反射を眺めてひとり、まったりと過ごしていた時。

何となく記憶があるのは、サナトクマラとヴィーナスクマラのサンクチュアリである神殿クリスタルを配置した丸テーブルの側に立っている時に、上空から・・柔らかな風のような気配を感じた。女神のような精妙で優しく、麗しい微風のエナジー粒子が、流れ込んできた。・・「声」とともに。

得も言われぬ優しさのヴァイブレーションで典雅に響く、美しい声だった。
(だんだんクレシェンドするように・・)

「独り。」
「あなたはずっと独り。」
「独りで生きなさい。」



「・・・・・・・??!!」


けれど恐らく他の女性が言われるよりも、驚かないような自分らしい「威令」だと思って、苦笑するような気分だった。独特のリフレインが何とも印象的で、説得力もあった。。。当時Yjudia と名乗っていた私の6次元オーヴァーソウルの声だと思っている。人間としての学びうんぬんも少しはあるけれど、オーヴァーソウルが自身の都合(?)で、スピリットやソウルを飛び越して産み落としたような特種な魂が自分の一部を占めていることは、幾度かの交感や体験を通じて分かっては居たけれど・・ダイレクトな「神託」をいただくレアな機会がなぜ必要だったのかと、時折思い出しては、不思議に思っていた。



さて。

その日から5年半以上が過ぎて。

あれからも、あれ以前も、結婚していた3年間を抜かせば基本的にずっと「独りで生きる」ことをしていたと思う。何をもって「独りで生きている」と言えるかというと、自分の現実を自分ひとりで決定づけている状態といったらいいかな。共有する誰かと相談し妥協し折り合う点を見つけながら、愛し憎み合い、もめたり仲直りを繰り返しながら、ひとつの現実を二人の手で支えるということをしない状態。ワンマン状態と言えば分かりやすいかな。

娘とのパートナーシップが築かれてくるこの数年、彼女の成長ゆえに助けられてそれが出来て来ていることは確かだし、それなりの心の努力や、互いに支え合い信じ合うための意識の切り替えのようなポイントは何度かあった。母子ふたりの家庭に関すれば「独り」ではなく、娘というパートナーが居る。

けれど、シングルマザー、個人事業主、と・・・ 「独りで決めて独りで責任をとる」状況に在る。これをやっていると、ヒーラーという職種のメタフィジカルな思考回路やライフスタイルや波動環境へのこだわりも相まって、オーヴァーソウルが美しい声で呟いた以外の状況には、なりようがないとも言える。

メタフィジカルで仕事をし、プロとしてはお客様にその方面でのアドバイスをする立ち場である。人は何であるか、何故に生きるのか、魂とは、人との縁や因果応報とは・・・そんなことを日々、当たり前のように搭載して生きているし、見えない世界=真実の世界の代弁者であるという役割は、やはりこのジャンルで仕事をする者には当然あるだろう。

ヒーラーになる前は19才から29才まで、コアな仏教徒だったので、ニューエイジ思想と殆ど変わらない宇宙観やカルマ感、死生感は、そこでも自分の一部だった。・・ただ、仏教から学んだというより、最初から私はその世界観を持っていた。少女の頃から。。気づいた時には、それが自分の一部であって、逆に言えば自分の中にあるその感覚を説明してくれるものを求め、仏教思想や、ニューエイジに辿り着いていた。ゆえにもう長いこと、三次元の社会制度よりも既に自分の中では「自然な摂理」として日々、関わっている感じだ。

この自然な摂理はとても優しく、叡智に満ちていて。そのうちにあらゆるしがらみが、幻想であるという見晴らしのよいお花畑のような素敵な場所へと、自分を誘ってくれる。すべてがワンネスという有機的なシステムとして繋がり合って、人はそこからやって来てそこへ帰る。ひとつであることを知らないから、皆、自分が独りであるように感じる。そして独りではない三次元の現実を構築するのが良識であると、人を求めて生きる。

けれども、最初から人は独りではない。

では、オーヴァーソウルは何を言いたかったのか。

パラドックスの先に見えてくる、生命の卵。

「多くの人と生きなさい。すべての人を愛しなさい。
三次元の回路に埋もれず、宇宙の愛のままでありなさい。」


先日、ある行動を取ろうとしたら、涙が止まらなくなり・・・
しばらくアクションのための手が動かなかった。
それはきっと、私の人間の部分。人としてのパーソナリティがそれを悲しんでいたからだ。

それでも、クラウンチャクラとハートは自信満々で。平然と穏やかに、背中を押していた。
これまでの人生でもずっと、人間の要素をいつも、魂の自分が飛び越えていく。
人間の私が泣いていても。穏やかに軽快に。時は進んでいく。

その逆であることは苦しい。痛く、心地悪い。魂が三次元世界でミラクルを生み出そうとする時、邪魔をするカルマの力や通りすがりのベクトルに負けてしまうと、魂の声は薄れていって、輪の中に・・集合意識場に引き戻される。その境遇に心地よさを感じる人も居ることでしょう。基本的には皆、まずはそこから生き始めるのだから。

「独りで生きる」ために
物理的に他者を閉め出す必要はない。心の・・境地の問題。どんな生き方をしていても。

自分という周波数を保っていなさい。
出来れば私から離れずに、融合しなさい。
密度をあげて、いずれは必ず回帰しなさい。必要なものを携えて。

6次元のオーヴァーソウルは、きっと。そう言いたいのだろうと、5年半を過ぎた今は、思っている。


セイキムレイキの、初セミナーを控えて。
All Love と、モナドとの融合を刺激されて、キリスト意識を試されているような最近。

セミナーを受ける前には相当な事前準備、テーマの浮上があり学びがあって、セミナー後もかなりの統合期間を要した(つい最近まで)けれど・・・・・ セミナーを受ける立場と、する側のシフトはやはり大きいよう。空が白くなる日は、人間要素が淡くなり空に吸い込まれそうなことが多い。延髄と脳の真ん中を拓かれているよう。

ALL LOVE

しばらくはこの学びが続きそうだ。

「独りで生きる」ことは、全てを愛し全てを生きること。

オーヴァーソウルを地で生き、モナドの卵を孵すこと。

味わっていこう。

Love and Grace,

Arganza Yokohama
http://www.earthkeeper.jp/arganza/
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by energyandcrystal | 2014-11-05 15:27 | 想い・思考・つれづれ

二つの性という難しさと、それを越えていく道

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自分自身を癒してあげるための石たちとして、おすすめしたいのが大きめのポリッシュ。Lumiere Blanche では「Big タンブル」と言って紹介したりしている。けれど、美石ばかりなので、観賞用としても美しい。見て触れて、体に載せて、一緒に眠って・・癒される、という感じ。

自分が元気でなければ、何も始まらない。エネルギーと肉体のセルフメンテナンスに。癒しの石たちの大きな磨き、おすすめしたい。こちらの写真の石たちはすべて私物で・・(ごめんなさい、笑)みな、ショップに長く居ても売れずに居たので、我が家に迎えた子たち。上がマイナスイオンたっぷりのケセラストーン。下左が癒しのサーペンチンにスティッヒタイトが入ったアトランティサイト、右が地球のロマンの証人・ストロマトライト。

一番小さいアトランティサイトでも、掌をほどよく埋めてくれるような心地よいサイズ。ケセラストーンになるとかなり重たい。でも、その分、癒しのエナジーは溢れるばかり。

重たいと言えば、我が家のマザーストーンのような存在感の大きな石の一つである、オーシャンジャスパー(下写真)。お迎えしたのは8年前くらいだったかな。片手ではとても持てない、ボール大のスフィア。こんな石がひとつ在ると、その空間に安心感が生まれる。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして今日は、エイラットストーンに絡めてすこし書いてみたいと思う。

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イスラエルの国の鉱物として、著名な石であるエイラットストーン。
石についての謂れや、現状など、色々と情報がありますが、それは特に気にせず(興味が無く)・・個人的に、この石にはマグダラのマリアと、女性性の癒しというテーマを感じている。

最近、以前よりも更に、全体としての女性性の癒しの必要性を感じていて、とはいえ、男性性も同じく傷付き、今は迷走状態にあると言えるので、正確には、「セクシャリティ」の癒しと言うべきかもしれない。人類にとって、このサイクル(12000年、既に去年から新しいサイクルに入ったとも言われているけど、まだ移行期につき前時代的な要素の問題はこれからも暫くは続く。)のセクシャリティの問題とは、どういう事なのかを・・改めて感じたり思い巡らせてみている。。

宇宙人たちの高次の世界では、男性性と女性性が出逢うと、必要な要素を交換できそうな相手にピコピコっとセンサーが反応して、目と目があったその時に・・というくらいの光の速度で、文字通りエネルギーの交感・交流が発生する。光による魂の交合だから、生み出される光は何らかのクリエイションに繋がる。天使やディーヴァの世界ならば、本当にエナジーの創造となり、調和的エネルギーが生まれる。ヒューマノイドに近い宇宙人たちであれば、性質によるだろうけど、生殖のための「ピピピっっ」も勿論、あるでしょう。

けれど恐らく、女性が10か月も不便に耐えながら妊娠期を過ごし、「鼻の穴からスイカ・・」と一般的に?言われている状態から、子供を生み出すようなことは、高次世界では無いだろうし、増して毎月身籠る訳でもないのに、月の28日サイクルに縛られ、一月の間溜めた栄養と血液を少なからず流してしまうのだから、本当に本当に、三次元とは凄いところだと思う。。。

そんな物理的な不便さを体験するのが地球・・?

本当にそうだろうか。

いつから、人類はこうなった? 
出産だけではなく、あらゆる点での不便さと苦しみの素。それらが具象化する世界に、いつから移行したのだろうか。地球上が、もう少し違うシステムをもった人類が住まう、今ほど苦しみや不便さが無い世界だったこともあるはず。なぜ、なのでしょう。。。よく言われている色んな事があるけれど(人類のDNA操作があった等々)、セクシャリティについても、その土台で考えると見えてくることがある。

恋愛で悩む人々は多い。どうしてなのかな。
男性性と、女性性が電気的に惹かれ合うのは、宇宙の理に(ここまでは)叶っている。ならば、そうして惹かれ合った男女の関係性やその後の共同創造(現実の)は、単に幸せな周波数と、調和的な現実と、互いへの信頼と深まっていく愛情・・・で、終って良いはず。なぜ、そう行かないのでしょうか。。。。

余計な社会制度があるから。

でもそれだけではなく、人間のやはり脳の中にその理由はある。

欲望、不安、独占欲、支配欲・・などなど。ニューエイジではよく言われている、脳の中にあるそれらのネガティブな機能が、発動してしまうから。

今、新たな時代(ニューエイジ)に向けて進化しましょうというムーヴメントの中で、メタフィジカル(スピリチュアル)をツールとして、迎え入れている人の人口は少しずつ増えていることと思う。けれど、あまり語られることが無いのは(まだそこまで意識論が至ってないのかな)、恋愛という人類にとっての小さくはない共通の人生の重要テーマ・・(「恋愛」に限らず単に性の問題も含め)・・も、進化変容していくべきだろうということ。べき、というよりも、人が進化すれば、自然とそうなるはず。その時、恋愛の常識などは、変わるのだろうし、もしかすると社会制度が内側から壊れる可能性もある。私などは、外側から「何か違う」と創作などに思想を込めて来たけれど、実は全く違う方法で、多くの人々の「現場」から、社会制度が壊れ新しく生まれ変わる動きが育っていくのかもしれない。

本当は、苦しむ必要なんてない。
そう思いませんか。

爬虫類脳の制限を越えて、ただ調和だけを生み出すような男女のあり方。水瓶座時代のハイヒューマンの、宇宙的な「ビビビ」と、信頼と愛と調和だけが作用するようなセクシャリティ。天使たち、高次の世界で流動する、自然な宇宙エネルギーの電気的な交流のような、創造活動。

まだ、個人レベルでの過去生のカルマの清算、物語の消化などに時間が必要かもしれない。双方の性にまつわる(魂の)記憶を昇華していく行程も、これから暫くも、個人レベルでも全体の歴史レベルでも、あることと思う。癒すべき所は癒し、解放や手放しが必要なものはそうして、修復や繋ぎ直しが必要な部分にはそういうワークなりメンテナンスを施していく流れも大小であることでしょう。

きっとこれからの時代、
「普通のセクシャリティ」概念から外れた人たち(そう、きっと宇宙人たち)が、新人類として生まれてくるのでしょう。同性愛者だったり、体と脳の性が入れ替わっている人や、もともと宇宙人感覚が強いために地上的な概念の中に没入できないスターピープルな外れ者?(わたし?笑)も居ることでしょう。そんな人たちの、前時代的な感性と制度への疑問が少しずつ潮流をなして、「常識」を内と外から、変えていくのだろうと思う。

エイラットストーンからイメージする(マグダラのマリアで体現される)女性性の傷への癒しの力は、その時代その時代の、制度や常識というハード面と、各人の中で作動してしまう人間の(男女それぞれとしての)サガから生み出された苦しみや痛みというソフト面という、両方に由来するものがあることでしょう。それは私たちそれぞれのソウルの中に記憶され、ブロックになっていたり、転生で持ち越したトラウマとなって今生にも活きていたりと影響力を持つために、それらの癒しと修復は必要ではある。

その上で、もしかしたら違うのかもという疑問を、ニューエイジに出逢った時にあらゆる事に対して感じていたのを思い出し、セクシャリティに関しても、何が宇宙的に自然なのかを、照らしてみると良いと思う。急には、人の習性も、想いのメカニズムも、社会も、変えることは出来ないだろうけれど、ハートの時代が来ようとしている今、古い脳のシステムに縛られた恋愛観や男女のあり方へのフィーリングを、自分レベルで更新してみる・・・のは、思い煩いから抜け出す道として、良いのではないかな。

・・・ただ、煩うのが恋愛の醍醐味だ、なんて言われたら返す言葉はなくって、失礼しましたという感じ。(笑)

宇宙人意識が強い私個人としては、煩う時間とエネルギーで、別の、もっと有意義なことをクリエイトしたい、と思う。むしろそのための糧としての、セクシャリティ・・本当に高次の人々の男女性のような・・・ならば、素晴らしいと思う。恋愛や性愛ばかりではなく、人と人との繋がりはすべて、共同創造(コ・クリエイション)の始まりなのだと思う。

ドラマが面白いこともあるけれど、はまり込んでいると時間は止まってしまう。

創造していきましょう。

過去を修復し、統合し、必要な情報は拾い集めながら。。。進化した人と進化した人が出会い、未来を生み出す、新たなセクシャリティのあり方。

過去の遺産としての、女性性の痛みや、その背景にある失われた歴史のようなものに、アースワークや個々人のテーマに関して、触れることが多かった最近。過去や歴史に引き込まれそうな空気だからこそ、あえて未来と、新時代に相応しい男女のあるべき姿を、考えてみた今日でした。

Love and Grace,
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by energyandcrystal | 2014-09-30 21:52 | 想い・思考・つれづれ

かめばかむほど/宇宙びとのブランチ

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今日のブランチ。くるみのバゲット、ミネストローネ、野菜サラダ。

人間の肉体の重さ。それを楽しめている人もいるし、そうじゃない人もいる。スピリチュアルな人々の中でもスターピープル系の(私もそう)人々は、肉体に入っている事にすら、子供のころから違和感を感じているくらい。。それは深刻。「不自然」と思いながら地球の転生サイクルに入っているので、何度も何度も「おかしい、何か変だ、こんな筈では・・」と人生を苦しみながら繰り返しているうち(昔ならばきっと修行者や山のシャーマン等になればしのげたことでしょう)、更にハートの傷深く、第二チャクラにその古傷のブロックが結晶化し、思考回路にも影響。

「生きづらい」とため息を漏らしながら、子供の頃から、他の人々が楽しんでいる刹那的な時間を楽しめず、土を指でくるくるしていたり、虫やお花や小石に、話しかけていたことでしょう。

そんな宇宙人スピリットの人も、今この時代は大きなチャンスとして、自ら喜んで選択し、体験しに来ているのだとか。魂として事前に書いた筋書きとおり、お約束のように生きづらい時代を早くに経験し、ベストなタイミングで、故郷である宇宙の叡智と再会。「これだ」と、衝撃的な出会いを感じる。。。しばらくは、それでもヒトとして生きて来た今生、さらには地球での転生の歴史がおりなすドラマの色々が、肉体内分泌腺と連動しながら、クリアリング時代のスイッチを入れる。

あんなことや、こんなこと。最近の転生から、アトランティス? さらには未知の文明の記憶まで出て来たりして。小さい頃、保育園に入ったばかりの1年目のように、熱を出したり、あそこが痛いここが痛い、現実を通じて気づかされた、、などなど、泣きたくなること、色々。

人によって、人生の歩みは色々だと思う。

ここから自分を語りますが・・
余りに浄化浄化と、そして自分を高めることにフォーカスしていた時代がありました。日々の生活はたくさんの石たちと、サロンを訪ねてくるお客様と過ごす時間が殆ど。若い頃に惚れ込んだ「聖地」の山が、自室からも、サロンからも望める。遠出をすることはないから、常にその山の懐で、その山と森や自然霊たちが醸し出すエナジーの域の中に居る毎日。

俗っぽいもの、すべて興味がなくなっていました。文化的なことも。エンターテイメントや創作物は勿論のこと、かつて好きだった(そう、元々浮世離れしていた娘だったので)歴史探究や、舞台芸術、旅行も。。どこにも行く必要がなくなった、、瞑想すれば何処へでも、多次元に行けるし、ハイヤーからのエナジーで常に満たされ、パワースポットにも行く必要が無かったから。

興味あるものといったら、音楽は瞑想音楽・ヒーリング音楽のみ(笑)。あとは・・天然素材の服や手作り化粧品、石たち。それだけ。奈良にせっかく転居したのに、出歩く必要がなくなって4年間ほどんと観光や、前に好きだった仏像鑑賞、神社巡りをせずに暮らしていた。

今振り返ると、笑っちゃうでしょ(笑)
自然食、ノンアルコール、ベジタリアン。。映画やロックなんてとんでもない!
若い頃は大好きだったものであろうとも、とにかくすべて、興味がなくなって。
自分の過去も。感情思考の浄化が一段落し、過去にまつわる傷がなくなってくると、連動するように半生の記憶が淡くなっていくかのようだった。そして子供時代やヒーリングに出逢う前の人生を、まるで過去生のように遠くに感じて。



或る日の瞑想で、「自分」の「限界」の最高レベルまで上がっていき、「天井にピタっと手がついた」と感じた瞬間があった。「今世では、それ以上(エネルギーを)開発できないよ。それ以上するなら、もう別次元へ行くことになるよ」と、自分の分身のような声が、頭上から響いた。

「・・・ええっっと」

暫し考えたけれど、「家族も居るし、まだ、多分、行けません」

「いえ、行きません。残ります。」

ヒュ〜〜っと、下降する感覚がしばし続き、ストンと肉体に納まり、周囲の世界に気づいたとき。そこが自分のサロンの一室で、陽光を浴びた石たちに囲まれている美しい風景だったにも関わらず、自分の選んだことへのやるせなさが、押し寄せて来た。

「うえ〜ん」と、暫く声を出して泣いた、昼下がりのサロンの或る日。
2009年の4月のこと。


そこから、苦しい時期が始まりました。
なぜって、「ストン」を経て、かつて一度すべて興味を失った人間時代の(笑)自分のパーツが、全部戻って来ちゃったから、大変。要するに、ニューエイジに出逢うビフォアとアフターが一緒になっちゃった。純化に励み、透明に濾過しようとしていた人生が、再び、ニューエイジの思考回路と経験と時間をかけてつくってきたエネルギーシステムはそのままに、再び今生の一人の人間としての雑情報が流れ込み、モザイクになってしまった。


そのモザイクを、再び、宇宙回帰した後の自分の目線で並べ直し整理し、もう一度「あえて興味を持ってみる」みたいなことを少しずつやることになる。

それから4年が経過した。
まだまだ、モザイクと向き合い、ジグゾーパズルをはめている途中のような感じもする。それはそうだ、きっと、ずっとそうして生きていくのだろう。けれどもさすがに、積み上げて来たこちら(宇宙の叡智)の情報を失った訳ではないし、オーラシステムや、この仕事で出てきたノウハウがある。過去感情のクリアリングや思考の色々も、ゼロに戻った訳ではないので、「ビフォア」時代に逆戻りした訳ではない。ただ、興味関心(第二チャクラ)と、記憶や情報の扱いが、大分変わったのは間違いない。

以後の戸惑いと、再調整の時期が落ちついてからは、(この2年くらいかな)未来を感じながら、噛み締めているような気分。ニンゲンであること。ニンゲンとして、人間社会に触れながら自分なりの軌道を造っていくという道のりを。「タマシイの乗り物」としての、自分の肉体。それがエネルギーシステムと、思考とハートとともに織りなしていく現象界の現象たち、その創造の流れと結果を。

かめばかむほどに。噛み締めて、「そうだった、そうだよね、宇宙人として地球人生を、地球人体験の中で完成させる。。それが目的だったよねえ。」とか心で呟きながら、かめばかむほどに味わい深い、『この地球という、どうしようもない(つまり素敵な/笑)ホシ』の、幻想のような瞬間の重なり合いを。ニンゲンである限り感じる、感情というものの忙しさを。思考や理性という時に無駄なブレーキさえかけてくれる安全?装置を。

ブランチを噛み締めながら、ただそんな事を想っていたという今日のお話。
たまたま、クルミ入りフランスバゲットが本当にかめばかむほどに美味しかったので、タイトル、ひっかけてみました^^

Love Life
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by energyandcrystal | 2014-07-11 17:19 | 想い・思考・つれづれ


エナジーワーカーが綴る、エネルギーワークとクリスタルのある毎日。=ナチュラル&スピリチュアルなHappy Days の作り方。


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