カテゴリ:エネルギーの処方箋( 10 )

高次(光)とは取引できない

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自滅の木
その枝にあるのは、空虚感、疎外感、無関心、人間関係のいざこざ、etc.
その根にあるのは、恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫

自己認識の木
その枝にあるのは、生きがい、健康、喜び、やる気、満足、寛容さ、実行力、創造力
その根にあるのは、慈愛、友愛、ゆるし、愛、感謝、親切、温かさ、信頼

     
     by The Book of Peace / Mother Teresa




thanks to: 清水紀子(訳)/メトロポリタン出版

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「もう少し状況がこうなったら、〜できるんだけど」
「周りがもっとこうなってくれたら、〜を始めよう」
「〜が整ったら、実行するべく動き出します」

人はとかくそう思いがちですが、状況が変わるのをただ待っていて、それが自分が動き出さない理由だと思い込んでいたら、いつまで経っても何も変化はおきない。適当な時期やタイミング、時流や各人の運気のようなものは確かにある。けれど、外側で何かが変わるまで、自分から準備することをせずに居たら、いつまでもずっと、今ある世界と仲良し。

時期を、タイミングを見る・・・のであれば、
その間、せっせと準備をする。自分磨き、環境や、人間関係。知性や体力、生活力、責任感、大人としての自立。すべて、創造のために必要な要素。活力を養うために、食や日々の生活を見直す必要があるかもしれないし、知性が足りないと思えば磨くのは今の時代は簡単。

住環境の持っている波動が、自分が他者と会った時に醸し出す空気感となる。
本に囲まれている人は知的な感じがするし、花や動植物を愛でている人は優しい印象を与える。

日々、環境や自分を磨いていくことは出来る。
読書をすれば、自分が深まるし、落ちついた空気が生まれる。
ネット検索ばかりでは、周波数の高い知性は身に付かない。

もし・・・

『恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫』

が自分の中にあるのなら、それを解放していくことに意識を向けよう。
そのためのツール、メソッドを習い、習ったら毎日実践。

自分が放っているものを、宇宙は還す。
創造、顕現のトリニティ。
そこに計算の狂いはなく、現実・外見(容姿の形態の善し悪しではなく)・日々の心や身体に、数字が現れる。そこから自分を知り、見つめていくことを厭わず。変えていくことを恐れず。

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高次(光の側)とは、取引、駆け引きは出来ない。
あるものを鏡で還すだけ。

もし、取引や駆け引きが、成り立ったかのように現実が自分の思うように動いたなら、その「高次」は光ではない可能性が高い。「高次」は、地球の三次元よりも高い次元というだけで、それがイコール「光」とは限らない。あなたの中に住むエンティティや、浮かばれないご先祖からの負の「三位一体」もあり得る。あなた自身の「ハイヤーセルフ」=高次の自己も同じくで、必ずしも善だけではない、カルマをもった揺れ動く存在であることも考えられる。

創造は、自分の心がスタートを切る。
他者や、状況が整うのを待つのではなく。
取引、駆け引き、待機は無意味であり、かえってカルマを産む。負のスパイラルの始まり。

マザーの言う「自己認識の木」がすべてを物語る。
創造は、まさにそんな根っこから始まり、そんな枝として具現化する。

見てみれば分かる。
自分に何が足りていないかを。何を足せば、自分が幸せになれるか。

高次(光)はすべてを見透かす正確で狂いのないコンピューターシステム。
根っこと、枝と・・・心と頭の中にある、「取引/駆け引き・感」をたまに見直してみよう。
幸せを実感でき、感謝とともに生きられるように。

「あなたはあるがままで」
「もう修行は必要ない」
「あなたはそのままで完璧」

・・・という言葉が、スピリチュアル界に満ちていることこそ、光に向かわせないためのトラップです。あるがまま、そのまま、それも自由意志だから良いでしょう。ただ自分が幸せであれば。。。皆、苦しいからスピリチュアルを求める。ならば、「そのままで」良い訳では無い。変化を起こさなくちゃ。そのためには、自分から動きだし、自分で気づき、自分で責任を持ち、収穫する。

「自己認識の木」

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Love and Grace,
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by energyandcrystal | 2015-07-25 09:27 | エネルギーの処方箋

専門家(プロ)・一流・聖人(セイント)

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Lumiere Blanche でup準備中。シャッタカイトシリカ&ラディアンスジャスパー。

もう何年か前のことになる。娘の習い事の発表会が近くなり、通し稽古やリハーサル、衣装合わせ、ゲネプロなどなど、日が進むにつれて不定期な練習の日程が増え、時間もまちまちで夜遅い日もあり、さて親も送り出したり迎えに行ったり、食事や小腹対策など、日程を合わせて動くのが大変だと思っていたころ。我が家にとっては初めてだった発表会、実は当然のように母たちの仕事分担という話が来た。

私のような自営業者、それも背後に柱が無いので常に自身で柱を立てていなくてはならない身分だと、「突然の予定外の用事が入る。それも自分の意志に関係なく」というのが一番、実際的にも難しいし、心情的にも困惑する。今も親たちの力が支えています、という共同体的な学校に通いつつも、一年間の日程が先に決まっているような係を選び、手を上げている。そうでないと、急に「この日頼むわよ」といわれるとクリエイティブな仕事や瞑想的・波動的メンテナンスも含め、かなり仕事に影響されてしまうので、私のようなスタイルの仕事人には、相性がわるい。

ううむ。と、参加は義務という空気にあたまを悩ませていると、ツイートやブログで連絡事項や娘たちの動向を見ようと先生のウェブスペースを覗くたびに、次第にカリカリ、ピリピリされてきて、何かあったのでしょうけれども、教え子の母親を揶揄するような書き込みを目にした。うっすらショックを受けていると、母たちに向けて一斉にメールが送信された。

目を覚まして〜、心からの仕事をして〜 プロの仕事をして舞台を支えて〜 もうあと・・日しか無いんです、責任を持って仕事をして〜 うんぬん。。。「あれれ?」

長年、通っていて、何度も発表会に出ている方々はご存知だったのでしょうけれども、入ってから2年、一度もそういう話を聞かないまま、本番近くになった時に母たちが「プロの仕事」をして舞台を担うのだということを知り、本当にびっくりした。そして、更に先生の煽りはつづき、またウェブでのキリキリしたご様子も続いていって。

とてもクリエイティブなお仕事をされている先生なので、オリジナルですべてが構成されていて、舞台も細部までこだわりがあって、前回の(うちが入会する前の)舞台も素晴らしいものでしたが、こういう急激な事態が目の前に心の準備なくやってきて、私のような、やはりワンマンで長年(もう10年)仕事をしてきて、自分のペースやコンセプト、仕事の外周にある調整の時間やその周波数まで大事にしようと(ある意味死守しようと)している人間が、どうやって対処したと思いますか?

なんとか、合わせようかと考えたことも。入ったばかりの何も(普段の練習のことも)分からないお母さんでも、先生の煽りのメールに「はい!」と返事をして、期待に沿おうとされていた。・・・が、私は考えてしまい、とても同調できずに、最後まで自分のいつもの調子を貫き、そして同じく激化していたレッスンに「もういい」と言った娘の意志を確認し、母としての手伝いを殆どしないまま(恐らくひんしゅくを買ったことと思うけれど承知の上で)発表会を観客席で観覧し、笑顔で先生に挨拶し、その後退会希望を出したという流れ。

ヒーラー業を長くやっていると、当然ながら「批判することなかれ」は身について(自分が批判精神を内在させていたり人をジャッジするクセがあると、自分がされますからネ/苦笑)いるものの、何かおかしな事が起きているんじゃないかな、これでいいのかな?と、疑問を感じたのだった。。とても個性的で、良い意味で「マニアック」な表現活動をされているけれど、子供の習い事である限り、発表会の対象は親達や祖父母や親類縁者など。高い芸術性よりも、可愛く活躍する姿を見に来ている観客たち。けれど先生の拘りは深く、そのために自身を追い込んでいるので、とても苦しそうだった。

もちろんそれは「産みの苦しみ」であり、公演が済んだ時は感動と達成感に変るのだということは分かっている。手伝っている母親たちも、道のりが大変なだけに、そして我が子の奮闘と晴れ舞台に、感動する。けれど、観客も、子供を習わせている親たちも、先生の表現したい芸術性を理解出来ている訳でもない。出来ている人、ファンで親子で在籍している人も居るとは思うけれど・・・こういう事って本当に難しくて、幾らその分野で自分が自分を厳しく創作の怒濤の中へ追い込んだとしても、それを一緒に引き受けるつもりでそこに居る訳ではない人々を、「早く、貴方も飛び込みなさい。そして私を理解し、助けなさい」と言うことは、出来ないのではないかというのが、私の考え。

というより、それが芸術などの世界で通っていたとしても、エナジーワーカーの感覚からするとエネルギーバランスはよくない。相手から不当にエネルギーを奪うことになるのではないか。子供の健康や楽しみとして、習い事をさせているとくに姉妹グループの幾つかの、小さなお子様たちやその親たちは、その先生の「真剣さ」と「独自の世界観」に付き合わなくてはならないのは、通常の習い事と違い、少々ハードルが高い。。。

そして、日頃のお月謝は勿論のこと、発表会のためにかなりの額を親は支払い、衣装代もかなりの出費。そう・・あくまでも「子供の習い事」としての「対価」を、親は支払っている。けれども、見に来るのが身内や親族が殆どということもあって(恐らく)、公演が無料。だから、「プロの仕事をして舞台を支える」のが、母親たちという人員になる。という構図。通常の習い事であればもう少し複雑ではないのかもしれない。先生の表現者・創作者としての拘りが、質の高い舞台を作ろうという姿勢で燦然と輝いているのは分かるけれど、実際にそれを取り巻いている状況が、エネルギー的にはかみ合っていない。アンバランスなのだ。

だから、先生はいつもどこか不安で、カリカリしている。自分を繰り返し励ますような文面を常々、ブログやツイートに上げてらっしゃる。そういえば、発表会よりもずっと前から、それらを目にしていて私は、なぜそんなにも自己肯定を繰り返しウェブに刻まなくてはならないのかな・・と思っていた。きっと自分の中で自分を責める疑問符が、常に心に頭にあったからだろう。人間心理やエネルギーのバランスを自ずと常に読んでしまうのは職業柄で、こういう親が居るとやりづらいことと思う。申し訳ないけれど、丁重にお礼と感謝をお伝えして退会させて頂いた。

その流れの中で思ったのは、「芸術家は創作のためにピリピリすることがある」とそれまで考えて来たけれど、本当に一流の人はどうなんだろうかと。世間での評価という意味ではなく、密やかに知る人ぞ知る「一流」の作家や表現者って居るだろうと思う。そういう人は、発表の機会が迫って焦ったとしても、周囲の人に当たったりしないのではないかと。

エナジーワーカーとして・・どうすればエネルギーのバランスが取れるのかと、この時に考えていた。そこまで自分の芸術性を追求し、それを表現することを大事にするのならば、「〜教室」の発表会という感覚を完全に超越して、「劇団」であるという設定にして、公演に対するスポンサーを自らの努力で(自己表現のためなのだから)開拓し獲得し、その援助を得て、母親たちではなく仕事として請け負って動くスタッフを雇い、公演を有料にし、その成果を、日頃の大事な「お客」でありスポンサであるはずの親たちに、客席で見てもらう(その公演を手伝っている母達は本番を見れなかった事に私は驚いた)。そうすれば、先生はどこかでいつも自分を責めることなく、不安に苛まれて人に当たったり、ツイートで母親に当たったりすることもない筈。

とても素晴らしい感性をお持ちの先生で、先生自身も素敵な方なので、残念に思った。けれど世間ではエネルギーの仕組みまでは考えていないことが多いだろうから、こういったことも世の中の常であるのかもしれないけれど。仕組みに気づいて、バランスがとれるようにすれば、皆が気持ちよくその現実を共有出来る筈なのに。。。

専門分野を極めていくうちに、人間としての内面、引いては魂から自身に磨きをかけていくと「聖(ひじり」のような存在になるのだろうな。少し前のオリンピックシーズン、高橋大輔選手などに(お若いけれど)それを感じたりもした。アスリートもオリンピック選手ともなると、そういう方々はいらっしゃるのだろう。

そして・・・この時の思索は、ワンマン体勢でサロンとお店をやっている自分に本当に教訓として刺さった。「反面教師」とまでは言わない。素敵な先生でとても良い方だったから・・・ただ長年、自分の思想や感覚で、自分の肩に多くのものを載せて歩かなくてはならない環境が続くと、きっと見えなくなるのだろうと思う。「分かって(理解して)くれる」ことを当然の義務のようにして待ち受けてしまい、そうでない空気に不安になり、自分のやり方を責めてみるべきかという悩みが生まれる。私自身もこういうフラストレーションがこれまで、全く無かった訳ではない。それだけに、この先気をつけなくてはならないと思ったのだ。

15年ほど前は、とある学者の先生の秘書を3年間務めていた。とても優しい紳士で、一目見ただけで天才だという風情。凡人とは顔から滲む空気が違う。尊敬し、一生懸命仕事をしていた日々だった。穏やかで朗らかで、けれどその天才的な空気と業績だけに部下の先生たちは良い意味での怖れも抱いていて、基本、研究室はうまく行っていた。。。けれど、どこかに歪みがあった。特に現れていたのは、歴代の秘書たちとの関係。別に不倫だとか恋愛めいた話ではなく(笑)、男性的な序列が通っている研究室のトップにある教授が、弱い所を見せたり、当たったりするのはやはり、身近な女性たちなのだ。

私は比較的・・この性格ゆえに・・教授も察してそれなりに接してもらっていたため、秘書なのに「姫」という渾名が付いてしまい、教授の他の秘書たちのような「甘えや当たり」は殆ど無かった。けれど、先輩秘書さんや、アルバイトで入った女の子が何となくそんな空気で、ある意味母親のような、ある意味で奥さんのような、何となく濁ったような難しい揉め方を先生としていたり、疲れ果てて辞めて行ったりする姿を見ているのは、辛いものだった。そんな流れに飲まれて、私自身も疲れて辞めてしまった。

この時も思った。「たとえどんなに専門分野で自分が偉くても、自分を取り巻いている小さな輪の人々を巻き込んで嫌な気分にさせたりしてはいけない」と。きっと自分はいつか自由業(当時は研究者や作家になりたいと思っていた)に就くと思っていたから、「これは未来のための教訓」と心に刻んだ。。。まだ二十代前半のことだった。

最近読んだとあるチャネリング本に、書いてあった。。人に対して与え過ぎていたり、逆に人のエネルギーを使って自分が何かを得ていたりすると、ハートが「違う」「これではいけない」というサインを出してくるから、心が痛んだり、どこか苛まれたりする。エネルギーバランスのあり方は、ちゃんと自分自身の中から見えて来る筈なのだ。バランスが取れていれば、いつもスッキリしていて、何かに対して何かで置き換えたり、どこかの穴を何かで埋めたりする必要もなく、必要な要素が必要なだけ揃い、気持ちよく現実世界で表現されていくはずなのだ。

大分前の出来事だけれど、いつか書きたいと思っていて。。。

ヒーラーも、まずは専門家として看板を上げてプロとして仕事をしていく責任感や質を持つことは当然だけれど、その先、心や精神を磨きつづけ、透明な水晶球のような境地、やがてはセイントの境涯を、目指していく道のりであることを、実感したり思索したりする。何も人に一切迷惑を掛けてはいけないという意味ではなく、自分の醜いところや弱いところを見せるのだって時には良いと思うけれど、何しろそうしてアウトプットしたエナジーは必ず自分に戻ることをエナジーワーカーは知っているものだから(笑)・・・・・透明な球を、やはり目指していくのだろうと思うのであ〜る。

love and grace,


Main Blog : 世界樹の木影で http://sekaijunokokagede.cocolog-nifty.com/blog/

Shop : Lumiere Blanche http://www.lumiereblanche.net/

Salon: Arganza Yokohama http://www.earthkeeper.jp/arganza/
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by energyandcrystal | 2015-02-03 17:57 | エネルギーの処方箋

サイキックとヒーリングをめぐる赤と青

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私物コレクションのマスターたち。最近のワークはこの方々が活躍しています。上はもう10年ちかく前から一緒のセイクレッドスクライブス、その下左はコロンビアレムリアン、右はブラジルのレムリアン、まん中のブルーは最近迎えたブルーグリーンのスポデューメン。ただし・・この写真から既にかなり変色して姿を変えています。

スポデューメンが日光や時に蛍光灯でも色が変わるというのは承知していたけれど、それを避けるために布にくるんで引き出しに・・というのは性に合わぬということで、自然にしていましたら、一月と経たないうちにアイスブルーになっています。じきに透明になるのかな?以前取引先の業者さんで黄緑色のヒデナイトとして入荷したのが全部クンツアイトになった・・というものを、クンツアイトとして仕入れたことがあった。。とても奇麗なクンツアイトのままだったけれど。。

そうそう、ライラック系のスポデューメンも、在庫しているうちにすっかりとクンツアイトになっていた。クンツアイトから先には変化しないものなのかな。このスポデューメンもクンツアイトまで進化?変化するのだろうか。それともクリアになって落ちつくのかな。素晴らしかったブルー味が消えつつ在るのは淋しいけれど、最初から覚悟の上で自然のままにしておきたかったので、これもまた良しなのであ〜る。。(今のアイスブルーも奇麗です^^)

コロンビアとブラジル、双方のレムリアンはかなり大きくて、20センチ近くある。太さもしっかりしていて、偶然出来たコンビだけど(もちろん必然だろうけど)姿形がよく似ているのです。これらの石の写真とともにイシス〜セイキム、シリウス系エナジーの中でも特種なオクターブを最近はワークしていて・・最初は金星、ハトホルっぽかったスポデューメンがイシスっぽく変わっているのももしかすると何かの変遷を表しているのか、ただのこじつけか。笑

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上の石たちとは関係ないのだけれど、今日の話題。
とある資料から。。(たいした資料ではない、というと失礼だけれどカジュアルな、お茶の間的なもの、でも恐らくその出典はちゃんとした所から来ているハズ)

サイキック能力というものは、赤の力と、青の力があるという。赤の才能を持つ人と、青の才能を持つ人に分かれるといったらいいか。赤は念力タイプで、身体がガシっとしていてよく食べてどちらかというと自分本位で人をコントロールしたり支配したがるし、実際に結果としてそうしているような人。念が強くて、身体もパワフルという感じ。肌は血色が良く、地黒の人が多い。

一方で青のタイプは、色は青白くて痩せていて、身体はあまり強くはない。こちらは透視能力や、エンパス(人の心を読みとる)の力があるのだとか。神経質だったり繊細だったり、というイメージ。

これは言い方を帰ると、赤=男性性、火 青=女性性、水 と言い換えることも出来る。とはいえ、実際の肉体的な性別とはまったく関係なく、たとえば男性でも女性でもそれぞれのタイプが居る(当然だけれど)。男性の中の「女性的=青タイプ」だといっても、決していわゆる女性的感性をもったフェミニンな男性という訳でもない筈なので、その次元で考えずに居たほうがよい。男性で、「ひょろっとして色白で、神経質なタイプ」といえば青のほうで、決して女性的な感受性を持っているという訳ではない。女性も同様。

けれど何となく、人間を二色に分けることはもちろん無理があるけれど、どちらかな?といえば誰でもパっとどちらかの色が浮かんで来たりはしないだろうか。私自身はペンネームに昔も今も「青」を入れていて日頃から青が好きな、人が見ても自分で見ても完全に青い種族だと思うけれど、子供の頃から、正反対の姉とは常に自然と、赤いものと青いものを分け合ってきた。親戚や親から色違いの何かを貰っても、揉める事も無く。

念力タイプの人はきっと、ルートチャクラがしっかりしていて、生命力が強くサバイバルに長けている。どちらかというと奪うとか、人との折衝では自分が先に取り分を確保できるタイプだろう。青の透視タイプの人は油断していると自分の取り分を人にとられてしまいそうな、地上でのサバイバルにはあまり強くない、けれど知恵や感性で生き延びようとするのだろう。

その「資料」では、念力系のトレーニングとしてスプーン曲げをしているんだけど、スプーンを手にしたら自己催眠をかけて、「自分は人に嫌がられそうな支配的で威圧的で、自分勝手な人である」とイメージし、そういう人格になりきる・・(笑)そして赤い色をイメージしたり身に付けたりすることで、念力系の力が高まって、エイっとスプーンが曲がる・・人も居る、という実験的なことをしていた。宇宙エネルギーをキャッチできた瞬間に、身体中に力が入るのでかなり熱くなるのだとか。その熱と力でスプーンが曲がるらしい。

一方で、青い色を身に付けたり視覚化して、落ちついて集中して静かに穏やかにリラックスして・・遠隔透視や人の心を読んだりと、実験していた。もちろん誰しもが両方もっているとは思うけれど、大きくいえばどちらかに分かれるのかもしれない。

子供のころから、相手の気持ちが何となく自然にスっと読みとれたり、今思えば潜在意識が伝わってくるようなところがある。何でも読める訳ではもちろん無くて、普段は自覚せずにやり過ごしてはいるけれど(長年の癖がついている)、そのつもりになれば心が見えてくるような所がある。心といっても、その人の潜在意識に何があるかが分かったとしても、潜在意識は本人のコントロールを越えているのだから、口に出しても仕方ない、むしろ本人が気を悪くしかねない。確かめる術はなく、見流し、読み流し・・

ただ、ヒーラーとしての仕事には勿論、役立っている。潜在意識とさらに深層にあるセルフ、魂領域からの癒しと解放を促し導くのが仕事だから。むしろこの「青」の性質ゆえにエナジーワーカーが出来ていると言っても良いかもしれない。一方で「赤」の人は恐らく、相談役のような占い師であったり、セラピスト、ボディワーカーさんが向いているかもしれない。微細なエネルギーを感知し相手の魂の有り様に触れていくのは、きっと青の人のほうがやり易いとは思う。

これを更に言い換えると、赤=鉄、青=銅 と言える。

少し前に、娘が通うシュタイナー学校の先生が、保護者会でとても興味深い話をして下さった。子供たちが少し前に習っていた「金属学」から。先生は恐らく、決まった教科書が無いゆえにわざわざドイツ語の文献で調べて、確かシュタイナー医学から得たと説明されていた話。

男性の血液の中には、鉄が女性よりも沢山入っている。女性のほうは銅が男性よりも沢山入っている。そして女性が妊娠すると更に血液中の銅が増える。一方でお腹の胎児は妊娠末期に活発に胎内で動き出すころ、鉄がグ〜ンと増えるのだとか。つまり鉄=活動の力を持っていて、銅は受容や育みを象徴しているかのよう。まさにヒーリング的な見地からの男性性(能動的パワー)、女性性(受容性)と同じだ。さらにさらに、ここがシュタイナーの面白い所で、

鉄は世の中で使われているのは線路だったり、車だったり武器だったり。やはり「力」や活動のテーマが共通して在る。一方で銅は、十円玉や銅像など、加工されて柔かさを生かした曲線的な姿に変わっているものが多かったり、電気などを通し易いという性質から電線も銅で出来ているとか。ここでも、鉄=男性的、銅=女性的、と言うことが出来る。それを先生いわく(シュタイナー医学の言葉いわく)「鉄や銅はそれぞれ地中に存在するものだけれど、地上にて自分らしく自己実現している」のだとか。。その視点はとても人智学的で、素晴らしく叡智に溢れているなと思った。

成分として、鉄も銅も、誰にとっても必要なわけで・・もしかすると、男性性と女性性のエネルギーバランスがとれてニュートラルな人は、血液中の鉄と銅のバランスも良いのでは?そんな気がする。

この話を聞いていて更に、少し違う角度からの「鉄と銅」を思い出した私。
歴史好きとして。。。青銅器時代から鉄器時代に移り変わるに連れて、そう、人間は次第に戦闘的にになり、社会は男性的になっていった。更に遡ればその前、石器時代が大地母神や地球そのものを崇拝するアニミズムの部族的調和世界だった訳だけれど、それが完全に女性的(=レムリア的)世界だとすると、文明化に進みつつも、青銅という柔らかな曲線的な、女性的な性質をもつ金属だった青銅を扱っている時代は、まだ・・前の石器時代のあり方を尊重した受容性のある段階だったと思われる。それが、世界共通して同じく、鉄の時代へと変化していくと、

より好戦的・支配や権力を巡る争いがはっきりと現れる男性性的な世界に変わっていった。そこで秩序や法が生まれ、合理化が始まったことで文明は確かに発展し歴史は動いて行く訳だけれど。人類の争いの歴史もそこで本格化していく。

これは本当にそのまま日本の古代史に見てとれる構図で、

縄文人たちと、最初にやって来ていた渡来系の人々はうまく調和し助け合っていたと思われる中で、青銅といって連想するのはやはり銅鐸。出雲を中心として祭祀道具だった銅鐸は、カラ〜ンと鳴らすことで大地を礼賛していたと思われる。銅鏡もあるけれど、その後、銅鐸の時代は終わり出雲の丘には大量の銅鐸が埋められて、宗教改革を断行した新たな渡来系の人々により、日本の歴史も権力や領土をめぐり争いが激化していく。その勢力は鉄の鋳造で強力な武器を得て、日本全土のネイティブである縄文の人々を駆逐し、彼らと調和的に暮らしていた先着の王たちを、神話や歴史の闇の中に追いつめていく。

歴史は繰り返すというけれど、人類の数千年の歴史の中で繰り返されるだけではなく、より大きな神がかったスケールの中でも、同じパターンが動いているもの。元素が発見されることで人間の意識が変わるという話もあるけれど、地中から出てくる鉱物や、空間にあるものや、地球の自然界から発見され活用される様々な物質の変遷により、この世界やヒトの有り様が特徴づけられるというのも、きっとある。鉄と銅が意味するもの(赤と青、男性性と女性性、能動と受動)が、スケールを変えて、私たち人間が知り得ない規模の地球と宇宙をめぐる歴史の中で、展開されていたのではないか。

赤と青。

火と水、火星と金星かもしれない。

甲殻類とか・・銅をたくさん含む血液の生物も居る。今、カブトガニの血液が人間の医療現場で欠かせないものになっているとか。銅を沢山含んだ、優しいブルーの血液を大量に採取されている様子は胸が傷む。。すべての自然現象や、歴史の流れには現実次元を越えた摂理が動いているのだと思えば、このことにも何か、意味があるのかもしれない。う〜ム。サイキックな赤と青、から大分離れてしまった。

支配とコントロールの赤。燃える生命力の赤。念力の赤、使い方にご用心。

受信・受容・感受性の青。叡智と理解、それゆえの鎮静の青。透視の青。停滞と感傷に注意。

バランスされた境地は紫だろうか。すべてを越えて白、透明なのかもしれない。

ヒーリングとサイキックはイコールではないといつも、説明している立ち場ではある。違う言い方をすると、見えないエネルギーの世界に触れるヒーリングは、携わっていれば誰でもその人なりの何らかのサイキックなアンテナや感性は必要に応じて、そして宇宙の意に叶って顕現していく。これまでの経験から、こういう世界に居る(ヒーラーさんだけではなく利用する方々も含め)ことで、かえってそれら、赤の力、青の力、それぞれの誤用や、愛による癒しとは関係ない所でそれを逆の方向へ向けてしまう様な姿もたまに見かける。どちらも恵みであり、どちらもヒトの才能の一部であり、どちらも落とし穴になりうる。

癒しが起きていくには・・・
宇宙の愛のフローに乗るだけ。

そして人間の奥にあるタマシイという宇宙生命体は、宇宙の源からすべてが分かれたその時から、もう、そこに戻っていくための旅が始まっているという、言ってみれば「一本道」を行くことになっている。ベクトルは進むか、退るかの、どちらかしか無い。

目に見える行動が進んでいるように見えなくても、それが宇宙の「一本道」における「進む」である場合もある。常に、流れに乗っかることを意図していく(どう生きるかとか、何をするかではなく)生き様の中で、赤の力も、青の力も、誰にとっても必要なものと言える。きっとそれらを混ぜ合わせながら、行きたい方向への羅針盤になってくれる機能はハートの辺りにある。ハートセンターであり、ハイハート(胸腺)であり。きっと胸腺チャクラで、もしかすると鉄と銅の血中濃度を調節しているなんてことがあったら出来過ぎだ。。男女性エナジーのバランスを取る所であるから。

ヒーリングとサイキックをめぐる「赤と青」
結論は無いけれど、考えたり、感じてみたりするためのきっかけになれば幸いです。

Love and Grace,
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by energyandcrystal | 2015-01-15 00:38 | エネルギーの処方箋

上にあるものは下にも。内にあるものは外にも。

b0271106_15412561.jpgこのタイトルだけupして記事を書かないまま・・4か月近く。書く気が無かった訳ではないけれど、優先順位から後手後手に回ってしまって。いつしか、もう内容を忘れちゃったなあと思っていた所に、同じような惑星配列にピタ!っと重なるような時期が(実際の惑星配列ではないですよ、自分の中のタイミングと状況からの比喩ですが)巡って来たことを感じて、四ヶ月振りに手を入れることにする。

石たちは、特に記事の内容とは関係が無いのだけれど、ここ数日、訴えて来るのでこれらでワークしていたという面々。とはいえ、メテオライトとロシレムはいつもいつものステディな石なので、今訴えていたのは、右上にある長野県産のアバンダンスクオーツと、左下に写っているチベットエレスチャル(ゴールデンヒーラー)、そして中央のガーネット団子(まるまるガーネット結晶という優れもの)。

さて・・
タイトルは7月にupしていた訳だけれど、その心は。

自分がメタフィジカルな学びの中でクリアして来ていること、または元々、自分自身の人生ホログラムの中には自分のものとしては現れないこと。それを、友人知人や家族、親しいお客さんたちから、話を聞くことがある・・・ということは、自分のパターンとしては無い、存在しない、けれども、話が耳に入るということは、自分の中にやはり片鱗ないし、それなりの何かがあるからなのだろう・・・という事を感じていた時に、その事を書こうと思って付けていたお題だった。

詳しく語っていくと、
量子物理学的に、人間関係の中で、相手が発した情緒的粒子がこちらに向かって来ていても、こちらが同じ周波数の粒子を送り返さない限り、共通のフィールドに(先方からの粒子が内在させるもの)が現象化することはないから、望ましく無い状況が顕在化するには至らない。

それを、意識的であったり、一部は無意識の働きであったりして、何年かかけて意識の学びとして実践する流れになり(こういう事って自然と促される)、簡単に言えば自分の中の感情を純化していくという作業をすることで、アストラルなフォース(エナジーの流れ)を透明化する。故に、一番理想的なのは相手から来ているものさえ、その自分が発したフォースで透明化出来る事も、相手が素直な人の場合は起こりうるし、いずれにせよ、自分にとって心地よい(自分軸からぶれない、それでいてトラブル化せずにおさまる)方向へと、現象を向かわせることが出来る。。。

という、量子物理学的な、意識のテクニックを活かした、現象そのもののヒーリング、ピュリフィケーション・・・とでもいいましょうか。必ずうまく行くとは言わないまでも、この心とテクを持って生きていることで、普通ならば大きなもめ事に発展したり、人間関係のしこりになりそうな事が発生したときも、現象化しないという事を、実際に幾つか体験して来た。ありがたいこと。

・・・でも。
色んな人たちと話していて、「ドラマ」の中で悩み、思い込み、筋書きとおりの感情反応をし、そのアストラルフォースを相手に送り、相手からもお返事が来ることで、感情的な不快感の応酬が顕在化する。。。という状況が起きている(人である限り普通の事ではあるけれど)。

そんな「ドラマ」の話を聞くということは、私自身、何が自分の中に残っているからだろうかと。。。そういう事を考えたのだった。「越えた」と言っても完全に越えたとは言い切れない、つまり境界線に居るから、なのだろうなあ、というお話。それが、「内にあるものは外にも」で表現したかったこと。つまり、まだまだ自己のアストラル領域のクリアリングと、意識のお勉強は続くということ。

少し話は変わるけれど、
若い頃から、親しい友人や「身内」的に近い人に、いわゆる霊媒体質というか、完全なそれではなく本人も無自覚乍らもその気がある人が結構居た。二十代にかなり深く親交していた友人が、「私ってトラブルメーカーなの」と言っていて「おいおい、止めてくれよ〜」と思っていたけれど、彼女と一緒に旅行に行くと、やはり普段は起こりえないようなミニトラブル・・駅で階段を踏み外したり、新幹線のチケットを落としたり、観光中に体調を崩したり・・と言った事が、(すべて私に!)起きたものだった。当時は一人旅や他の友人との旅行もしょっ中していたけれど、そんな事が起きるのは彼女との旅行最中だけだった。

他の知人でも、一緒に何かを共有すると、私独りでは決して起きないような不思議現象が(マイナス面の)多発する人も居た。心象がそれらを引き寄せるというのもあるけれど、もっと深い目に見えない理由がありそうな気もしていた。若い時分は仏教徒だった私は、そういった人々と行動を共にする時、せいぜい自己防衛のために読経するとか(笑)出来る事をしていた記憶がある。そして決まって、エネルギーを吸い取られていたなあと、ヒーリングと出会った時点でしみじみ思った。故に、古い人間関係は、当然の流れで自然消滅していった。

その後、ヒーラーという仕事に就いてからは、そういったタイプの人々の周囲で「小さな不幸」を呼び起こす存在達が、セッションや瞑想や、場合によっては普通にしていても見えたり感じたりするようになっていった。けれども完璧な情報として入ってくる訳ではないし、お客様であればセッション内の「やるべきこと」としてそれらが外れて行くのを見送るし、家族や影響力の強い身内であるならば相手のスピリットに断った上で、「処理」することもある。でも、ヒーリングの法則として、あまり勝手なことは出来ない。

以前に比べて、「強烈」なモノとの邂逅の機会は少なくなったけれど、まだ今もって、小さなモノがウロチョロするのを見かけたり、油断していると本人からそれを受け取って連れて帰ってしまうこともある。感じることが出来て、対処法が分かるから、ヒーリングと出会う以前とはまったく状況は違うけれども。。。

出会った瞬間に、「この人は魔法使いだなあ」と思う人も居る。当人はポジティブで自分のやりたいことを、実現させて行くのだけど、自分が持っている負の要素を人へスライドさせたり、人の持っているものを(恐らく無意識に)するりと自分のものにしてしまうことで、心にあるものを現実化させていく。人のエネルギーを使っているので、結果、現実化した事の中で(宇宙の法則上)自分が清算しなくてはいけない請求書がちゃんと回ってくるのだろうけれど。だから、結局はプラマイゼロになってしまうのだろうなあ。そういうタイプのマジカルパワーの持ち主も居る。

実際、ヒーラー稼業もそうだけれど、メタフィジ分野には魔術師的に機能している人も、たくさん居ると思われる。同業の方とよくそういう話もする。お客さんたちの「被害」話も聞く。

あるものを、何かに変えて、形にしようとするのではなく、何も無い所へ、自分自身が導管になり、相手に必要な光を降ろす。それが、エネルギーヒーラーだ。何がモチベーションかといえば、ただ純粋な透明な愛。それだけ。こういったジャンルを、自己実現のための手段のように捉えていると、自分もそういう同じタイプの人の「被害」に遭うだろう。江原氏いわく「スピリチュアルが自己表現になっている風潮がある」・・もちろんそれは、氏の中ではよからぬ風潮であるということだ。

ひたすらに透明であるということは、三次元に生まれた我々人間にとっては、難しい到達点であるかもしれない。でも、そこを目指していく・・ということなのだろうと思う。

話を戻すと、私自身が四次元的なモノの触媒になることが無いのは、10年間の仏教徒時代にスピリチュアルが孕む危険性や、落とし穴や、実際にそういうモノが動いている状況を目の当たりにしたり、力のある人が対処して解決したりする様を、見ていた故だろうとも思う。でも、もう一つには、恐らくマインド人間であるために、知人たちのような、自らが触媒になるという状況が出来にくいのだろうと思われる。実際に、(私見だけれど)情緒的な人、感情エネルギー、アストラル体のパワーが強い人が、触媒であったり魔術師になりやすい。

日頃から、三次元に居てさえ理性が効き過ぎて不便を生じているような人間の場合、目に見えない世界に触れるにあたって、その理性は更に強く作動する訳で・・ 「ヒーラーをしているような人は、念が強いから(人に念を送らないよう)注意しよう」とはよく言うけれど、自分自身を検証してみると、幾ら頑張っても(笑)、理性という調整機が常に作動している故に、「念」など可愛いものだと思う。そう、子供のころから人の感情エネルギーが凄く怖くて、怒っている人を見れば涙が出てくるし、怒るという行為の意味がよく分からなかったくらいだった。

・・・話をまとめると、
四次元的エネルギーと繋がってしまう人。どうしてだろう??と、そのメカニズムをずっと考えて来た。最近分かったのは、今生にせよ過去生にせよ、身におぼえのない古いものにせよ、「憎しみ」のエネルギーをまだ持っている人が、単に繋がるだけではなく、その触媒となってしまうのだということ。今まで、仏教信仰を始めた20歳前後からの10年と、ヒーラーになってからの10年弱、「念の強いタイプの人が、傷を消化していないとそうなる」と、思って来た。でも、それでは何か不完全だ。何だろうかと思索するうち、「憎しみ」だと感じた。

傷、ならば誰にでもある。今世のみならず、数えきれない過去生から、宇宙時代まで遡れば、傷を負っていない魂なんて居ないだろう。けれど、そこに恐らく過去の積み重ねもあるだろうし(感情の浄化、昇華)、今生でのマナス(心識=マインドと感性が合わさったもの)の有り様や表現方法において、感情体のパワーが強い形を取っている場合、新旧の「憎しみ」エネルギーが動力源となって、四次元の分離のエナジーや、破壊的な力と繋がってしまう。傷、という静寂なものではなく、憎しみという動的な感情エネルギー故に、そうなってしまうのだろう。

アストラルフォースが強い人=感情のエネルギーが強い人 は、ちょっと注意してみましょう。想い(念)で現実を動かすよりも、直感的なものを受信し必要な事を行動に移して、物事を叶えていったほうが、後々のカルマを作らないだろうし、自分もスッキリと達成感を得られ、一歩一歩成長していけるはず。それから「憎しみ」のような強い感情エネルギーの残留を自分の中に感じたら、まずはそこをお掃除していくことから始めましょう。自己表現としてのメタフィジカルを始める前に。

そして、自分自身が直接「そうである」ことは無いながらも、そういう人々の姿をたくさん見るということに、「内にあるものは外にも」・・・・つまり自分の内側に何があるのか。過去生の自分の姿?人類への奉仕のテーマ?・・それを今日もまた思索する私であった。。。。

4ヶ月越しの記事、これにて!

Love and Grace,
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by energyandcrystal | 2013-11-20 17:01 | エネルギーの処方箋

サイキックアタックの正体。

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意識、のお話はよく此処でも書いているけれど、今日はサイキックアタック(霊的攻撃)と、「実はこの世界の現実は全て私たち自身が作っているらしい」という意識に関することの、折合うところについて、考え て&書いてみよう。

我々自身が「意識」によって「意図」することで、現象界にある全てのものをプログラムセットしていると いう話はよく、近頃はとくに、時代が進んで来て解禁されたようで聞くようになっている。けれど、ここで いう「プログラムセット」はもちろん、現象界で自らをニンゲンという限定された存在だと思い込んでいる 私たちには、身に覚えのないものであり、つまり「意図して」筋書きを書いているのは、自分であって自分 ではない、転生を越えた魂=スピリットである。

自覚的に意図、設定することで現実が変わるという自己啓発的な話もある。それも本当で、宇宙の量子を動 かす。けれども、先祖から受け継がれて?きた家系にまつわるコードや、望ましく無い遺伝情報もあれば、 ヒーリングをあれこれとやっていると、個人の浄化の次には人類の集合エネルギーやら、ヒト種族の一員と して肉体的にはどうしても継承しているネガティブ要素などさえ、ヒーリング対象になっていくのも経験し ている。そんなレベルの所まで、「自分でセットしているのだから自分で責任持とう」と言われても、誰も が困ってしまう。そのポイントについては、フォローや救いが必要だ。

脳の稼働率7%という限界の中で生きている私たちには、「現実は自分の鏡だから自分で責任持て」と言わ れる以上の、説明と対処法が必要。

サイキックアタック・・「霊的攻撃」というと物騒な響きがあるけれど、実は、実際には攻撃しているつも りはなくても、誰かに対して批判的な感情を持つだけでも、それは相手のところにすす~っと飛んで行き、 一人歩きした分身のように、生き霊のように、相手のオーラに何らかの事を起こす。怒りであれば、かなり のダメージを与える。・・と書くとまるである種の呪いのよう。でもまんざら嘘ではなく、呪いだから当然 それは、相手のオーラを傷つけたり相手のオーラフィールド周辺で何らかの「嫌がらせ」をした後、自分の 所へ戻ってくる。

感じ易い相手であれば、たとえば良識のある(笑)エナジーワーカーであれば、状況を理解して何らかのコ ワザを使って相手の元へ、分身を丁重に・・帰す。けれど、普通の人であれば(本能的にヒトは来ているエ ネルギーを感知するので)何となく自分も相手への怒りを覚えたり、急に不信感を感じたりする。それが 元々、念を送り出した人の元へ再び飛んで行き、つまり感情アタックの連鎖、になってしまう。お互いのエ ネルギー波動が下がり、関係性も危うくなり、共有しているエネルギー場、グループ集合場にも影響を与え る。つまり、いいことは一つも無い!(笑)

感情は、自分自身の物事への反応を通じて自らを知る材料として、自分の中で味わいつくそう。感情を否定 するのはよくない。抑圧が、別の問題を産む・・シャドウセルフやパラレルを生み出してしまう可能性もあ る。自然な反応である感情は、自分でまずは認める。そして自分の中で味わいつくす。決して相手にはぶつ けない。ぶつけたっていいのだけれど(その人の人生だから)。けれど、怒りや嫌悪感や批判精神などネガ ティブなものであれば、必ずそれは、アタックとして相手を攻撃するし、当然ながら跳ね返って自分に戻っ てくる。。。自分が、あえて傷付いたり、オーラを損傷して運気を下げたり健康を害したりすることを望む 人は居るでしょうか?

・・居ませんよね。だから、感情は、相手にぶつけずに自分が味わうことで消化して、できれば透明な水に なるまで、濾過できればベスト。純化してしまう。そのプロセスは自分自身を知る作業であり、認めたくな いことでも自分で受け入れて呑み込み消化することで、純化が完成する。モヤモヤっと立ちこめていたエネ ルギーがなくなる訳だから、何が起きるかというと、相手がコロっと変わったり、嘘のように現実にあった 問題が消えて行く。

最後まで、100%の純化ができずに途中でギブアップ、続きからまた別の機会にがんばるよ・・と宇宙 に、ハイヤーセルフに告げる時があってもいい。だけど、できれば相手に怒りや批判を飛ばすことは避けた いもの。

そう、サイキックアタックとは、そんな風に、けっこう日常的に普通に繰り広げられている現象であり、何 か特別な呪詛をしかけて攻撃することを言う訳ではない。でも、今日書きたかったのはこの先のこと で・・・呪詛や生き霊も、上記のような日常的な感情のやりとりも全てひっくるめて、ではそのサイキック アタック、そのものをより深く識るには、対処するにはどうしたら良いかという話。

現象はすべて、スピリットとオーヴァーソウルがセットして、宇宙のコンピューターシステムを使って、 「ちきゅう・現象界」というネットワークを通じて、彼らの現象化した存在である私たちニンゲンが、どう 動くかというオペレーティングシステムのようなものとして、ディスクを送り込んだ結果であるという話は もう書いて来た・・(かな?あれ、気のせいかな?笑)

・・・ということは、サイキックアタックを受けている、或は受けてしまいそうな状況が生み出されるという現象の奥にあるものを見つけて、呑み込んで、消化して、純化&濾過してしまえばいいということ。その「奥」というのはたい ていが、自分が自分の力や才能や実力や活躍の可能性などを否定している場合や、過去生に由来するなら ば、権力にせよ霊能力にせよパワフル過ぎて人を傷つけたり、乱用した結果自分が窮地に立たされたりし た、痛い経験や深い反省などから、自分自身へのロックをかけているケースが多い。


相手が居るようで、実は居ない。それが、三次元マジック。

この法則がお腹に落ちると、全ての考え方が変わる。

けれど勿論、定着までに時間はかかる(何年、ゆっくりコースならば何十年とかかる)。そして、テストは たくさんやってくる。めげずに頑張ろう。笑  テストをしかけているのさえ、自分自身なのだから。。。

先日、予約の入っていたカルナレイキのセミナーを前に、テキストをおさらいしていたら、あるシンボルの 説明ページに、こんな文章があった。

「霊的攻撃に対処する一番よい方法は、このような経験は、自らを完全に知り、癒しを行うために我々自 身が自らのために、自身のなかに作り出したものだと受け入れることだという点を、忘れないでください。 」

・・しびれました。それ以上でも以下でもなく。その通りだと、ウンウンと頷いた私。

「攻撃」しているのが、自分自身だなんて。 この三次元という世界、とっても不思議。

そして多くの人が、その不思議で特殊な法則があることを知らず、現象を現実だと信じて生きていることが さらに不思議。恐らく宇宙でも、珍しい場所なのではないかしら。。。

そんなこの世界を体験しに来たのでしょうネ、みんな。

自分にとっての快適を見つけて、幻影に惑わされず、現象界だけに素敵な現象たちをクリエイトしていきた いものですね^^

Love and Grace,

画像上: 過去生からの不要な誓約や縛りを解除するという石、シャッタカイト。
http://www.lumiereblanche.net/crystal/130526shatta.html

画像下: 奥に隠れている自分の一部、成長を阻害しているものを見つけ出して解放へ導く石、レインボー オブシディアン http://www.lumiereblanche.net/crystal/130418ob.html
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by energyandcrystal | 2013-07-02 01:58 | エネルギーの処方箋

時間とお金の感覚が弱い人へのレシピ

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ガーネットだんご・・と呼んでいる、直径4センチほどの玉状の、まるまるガーネット原石。グラウンディング、現実力を、ソウルの高いレベルへまっすぐに繋げてくれる印象のあるガーネット。その意味で、単に「地に足をつけて」とか、「ふわふわしない」などの、地球との接続コード的なグラウンディングではなくて、より鋭く・・思考、マインドに上のほうでカチっとプラグインするような「上下のグラウンディング」を促進してくれるように思っている。

なので、だいぶ昔に当時ブレーク?していた「アバンダンティアアバンダンスレイ」を受けた時、そして以後の数年自分のサロンでも同ワークをメニューに入れている間、ガーネットをそのイメージストーンに据えていました。小さなガーネットのタンブルにアバンダンティアのチャージをして、ショップに出していたこともあったっけ。

さて。
今日はそれと似たお話ですが、石ではなくエネルギーのお話。

時間の感覚が弱い・ゆるい、時間と仲良く出来ずいつもギリギリになる、或はいつも時間が足りなくなってしまう、という人へのレシピ。

まさに、そのテーマを内包しているチャクラがあります。これは私が身を以て自分へのワークとして発見したものです。じつは・・・よくヒーリングの世界で、「ここにも小さなチャクラがありますよ」と言われる足の裏。両足の裏に、小さなチャクラが渦巻いているのをイメージしてみて下さい。

私はそのチャクラのことを考えると、それだけで両足でグルグルいい始めます(笑)・・個人差はありますが、そのチャクラを意識するだけでまずは活性します。次の段階としては、ゆっくり深い呼吸をして、足の裏に呼吸によるプラーナ(宇宙エネルギーの素粒子)を送り込んで下さい。

それが、足裏のチャクラに更に活力を与えます。

大事なのは、意識したり或はプラーナを送り込んだ時、両方の足裏チャクラが同じように元気よく回転すること。人によっては、その存在感が感じられないかもしれない。片方だけ感じるがもう片方は感じないというケースもあるでしょう。または元気の良さが違う、とか、片側には痛みが発生する、など人それぞれと思いますが、それは自分を見つめて発見する材料になります。

理由は分からないけれど、足裏のチャクラは地球の三次元の時間という概念システムと繋がっているようです。そう、時間は本当ならば錯覚のようなもので、皆が「そうだ」と思い込んでいるだけ。その点ではお金や経済も同じですが。

本当は上級・・超上級編として、最終的には自分の意識の奥の奥から素粒子の流れを変えることで、時間やお金という錯覚を越えていくことが出来る訳ですが、それは色々な段階を経て意識が十分に準備をしてからこそ出来るワザなので、(ハイ、私もまだ完璧には出来ません)

この三次元地球(既に4次元、或は5次元へ向かっているとはいわれますが、まあ言葉の慣習として三次元といっておきます)に、生身のヒトとして生きていて、幻想のピースたちに囲まれて生きている私たちには、まずは・・上級の奥義ではなく手軽に出来るレシピが必要。

そんな訳で、意識の力で錬金術、ではなくまずは・・足裏のチャクラを可愛がってあげましょう。実際の物理的な足の裏も、もちろんいつも大事に、健康に、清潔に保つようにして下さい。アロママッサージなどを難しく考えずに自分で、日常的にやるのも良いでしょう。物理的に良い状態を作るよう心がけつつ、

エネルギー&イメージワークです。レイキ等のエネルギーワークを使える人は足裏にあるミニチャクラにシンボルやエナジーを当てて下さい。イメージ力の強い人は、足裏で勢い良く回る車輪のようなエナジーの渦をイメージして下さい。これだけでも効果がありますが、

プラスアルファ、
そこで生まれた活性されたエナジーが、一つの光の筋となってスコーンと上に抜けていくイメージを。その時、足からルート(会陰)チャクラを経て、中心軸(プラーナ管)を一気に駆け抜けて頭のまん中にある松果体を突き抜けてクラウンから更に一つ上のソウルスターチャクラまでぶつけます。

ぜひ、やってみて下さい。何と言うか、急に「我に還った」ような明晰さ、すっきり感、現実感覚がやって来ませんか?これ、よくいう「今ここ」というものです。浮遊しがちなマインドや感情が一気に、自分の身体とマインドのまん中でビシっと整列する感じ。

これが、「時間」という三次元地球にしかけられた魔法のような思い込みのようなシステムに対して、貴方を強く、鋭く、してくれます。

では・・・同じようにお金という幻想システムへのレシピを、考えてみましょう。

もう、お気づきと思いますが、お金に関連するのは「手のひら」チャクラです。

両手も、上記の方法と同じようにして、健康健全なよい状態を保ちつつ、手のひらの中央にあるミニチャクラをイメージしたり、レイキをかけたり、イメージ法で更に活性してください。この場合、両手で活性した光を腕から身体の中心のプラーナ管に持っていったら、上にも下にも、送り込んで下さい。胸の前で両手を組んで(クリスチャンのお祈りの姿勢)、頭の中心(松果体=意識センター)と、両手とそれが置かれているハート、そして両足の裏チャクラ・・の、三位一体を結ぶというワークも良いでしょう。

大事なのは普段からそれらのチャクラと、エナジーの流れの健全さが保たれていることで、特にお金に関しては、困った時に急にやってすぐに結果が出るというものでもなく、日頃から「現実感覚」を定着させていくために、チャクラの概念とケアによる効能をお役立てくださいね。

色んな応用篇が考えられます(この題名で続編をまたやりましょう☆)が・・・

今日はこのくらいで。
ぜひ、お試しください。

 Love and Grace,

Amari

・・ついしん・・

*ガーネットのお団子は、ショップでご紹介中です
(3点あります)
http://www.lumiereblanche.net/crystal/1207garnet102.html
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by energyandcrystal | 2013-04-11 01:34 | エネルギーの処方箋

見えない筈のものが見える時。


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PC 内の整理をしていて、今のメインブログの前身、奈良に住んでいた頃のブログ記事に掲載した画像データが、幾つかのフォルダに納まり保存されているものを見つけた。見つけた・・といってもなくしたという程の自覚は無かったんだけど、そうかと言って此処に在るぞ、ちゃんと在るぞ、という意識もなく。

何と言うか、過ぎ去っていくものごとには結構、無頓着なほうで。チベットの砂絵ちゃん、と自分では渾名をつけているくらい(笑)。時間を掛けて、精魂こめて、作り上げて来たものを、完成した瞬間に手放してしまう、ゼロにリセットしてしまう(あくまでも自分一人の中のことで、他人様を巻き込むようなことは無いのだけれど)結構それで本人は、プロセスを楽しんでいるせいなのか、まあいいわと思っている。

大量のブログ画像たち。それでも眺めていると(テキストの方はダウンロードしたものの今のPCだと開けない事態になっている)一枚一枚から、その写真に込められている想い出や、アップした時の文章まで何となく蘇ってくる。愛着・・うん、というよりは、息吹のような、エネルギーのような気配が写真たちから立ち上ることを思えば、大切に。。何かにまた使おうか、写真たちを収めるミニサイトを作ろうかと、そんな気持ちにもなってくる。

そしてこういう写真を久しぶりに見ると、おっと!と思う。この一瞬の奇跡、その時に頂くギフトを思えば、自分自身の過ぎた過去の断片として、全てを片付けてしまう訳にはいかないという気持ちになる。

上の写真は、三輪山の麓、大神神社から狭井神社へとつづく山道の途中に鎮座する、スクナヒコナ神のお社で、正確にはその小さなお社の鳥居の内側から映した、お参りを終えて振り返った時の光のシンフォニア。時間が経つにつれて、特に下方の有機体のような色とりどりが変化していく。その経過も映したものがあるけれど、後日「大和路フォト」を紹介するミニサイトを作る予定なのでそこに載せることにする。

下の二枚は、同じ三輪の森で映したもの。これは少し前に、同じシリーズの写真をサロンのサイトの表紙にカットとして載せているけれど、やはり時間の経つ瞬間瞬間で、光の物体の姿が変わっていく。最初、グリーンの「ニコちゃん」がブルーグリーンの輪の中にいる。これが、別の1枚では外に飛び出しているのだ。

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こういう写り方をするのは、手前に見えている膜が自分自身のオーラ、またはその周辺に在る色だと思われる。確かこの日は、エネルギーワークを受けた翌日だった。インディゴの走りであるらしい私のオーラは藍色がメインの様だけれど、セッションで受けたエネルギーの光の膜に包まれていたのだろう。そしてニコちゃんは、宇宙から来たものをこの森に運ぶ役目でも担っていたのだろうか。

・・・こんな風に、普段は見えていないものが現れてくれることも、ひとつのメッセージ、そしてギフトだと思う。沢山の恩恵、恩寵に包み込まれていながらも、データの記憶は残っていてもその時の感動や深い感謝は、日々の多忙さの中で摩耗していくこともある。頂いて来たエネルギーやメッセージを取りこぼすことの無いように、一歩一歩を振り返り辿る心の旅をしている。

Love and Grace,
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by energyandcrystal | 2013-02-20 02:47 | エネルギーの処方箋

敬意を払う

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http://www.lumiereblanche.net/crystal/1103stros0.html


近頃、「リスペクト」という言葉が日本語の中に定着しつつある。英語の respect、尊敬するという意味だけれど、アレンジが得意な日本人の手に掛かると、既に本来の意味からやや逸れた「リスペクト」が一人歩きしているようでもある。本来は純粋に敬意を払う、尊敬するという単語のはず。でもこの言葉が普及した土壌が主にアーティスティックなジャンルのようで、元々の作品を敬意とともに自分の作品に取り入れる、という使い方をするらしい。つまり一歩間違うと「ぱくり」となる危険性もあり、ちょっと危うい傾向だなあと思う。

フランス語でいう「オマージュ」がほぼ同じ意味で使われる。例えば、イギリス映画の「キング・アーサー」は黒澤明監督の「七人の侍」へのオマージュである、という使い方をする。「キングアーサー」は正義のためにアーサー 王と共に立ち上がった円卓の騎士たち7人が、敵と戦いながら一人ずつ命を落としていく。まさに「七人の侍」だ。・・こういうケースを「オマージュ」という。そこには愛が込められていて、まねるというよりも誠実にその敬愛を作品に込めるという空気が漂う。

ただ、昨今の日本の「リスペクト」はどうもちょっと違うらしい。もっと軽いタッチでカジュアルに捉えられているよう。

この話は一旦置いておいて、今日は別の「敬意」について書くつもりだった。

エネルギーの仕事をしていると、常に物事やあらゆる事象をエネルギーで量るようになる。というよりも昔からそういうクセがあったのかもしれない。それが、エナジーワーカーをやっていて波動の高低やエネルギーの多い少ないにより意識が拓いていくことで、日常的な慣習になっていると言える。

その結果、便利なこともあるし、三次元ゆえに却って不便、不器用だな〜という感じにはまり込んでしまうこともある。でも、確実に物事の宇宙的な意味での重さや深さや高さを計り、それに応じて対応していくことは、最終的には無駄のない、スマートな道であることは間違いない。ただ、世の中がまだそうではないので、ズレが生じることがある。その場その場で、なぜそういう選択をするのか、行動をとるのか、人の目から見て理解しにくい場合もある。それでも・・

自らの物差し、自らの秤を尊重し、行動するのかどうかは、選択であり、宇宙の自由意志といったところだ。基本的に私自身は、自分の物差しで測ることを常としているし、結果としてそれを基準に行動する。それは別に、自分勝手に意志を通すことではなく、宇宙的真理というたった一つの基準を、自分の法則に据えているというワケだ。

たった一つの法則とは。。。ニンゲンを含めあらゆる魂は、宇宙の根源から分離した命である。創造の源から分たれ宇宙空間に飛び出した遠い昔から、目的はただ一つで、いつかそこに再び還る、そのために(敢えて分離した瞬間から)ひたすら波動を愛、創造主と同じ純粋な愛へと近づけていくべく長い長い旅をしている。。。というのが、基本的な「生命の原則」である。

けれど、我々、こういう次元で生きているニンゲンという世界では、「真理はひとつではない」「自由意志が尊重される」という言葉を聞く。それも本当。まあ、方便というか・・この世界においてはそれも必要なガイドラインなのだ。

話が宇宙規模に広がってしまったけれど。前者のほうの「法則」とともにニンゲンをやっていると、深く高い愛とともに行動しても、ニンゲン社会ではそう見えないこともよくある。その意味では不便。なので、適度な基準、自分なりの着地点を作って、実践して生きていく必要がある。宇宙の絶対法則を知っているけれど、三次元ヴァージョンに出力調整をしなくては、此処では却って自分自身が生きにくくなってしまう。愛を拡げて地球を持ち上げていくには、この世界の基準も尊重する必要がある・・そう、こんな時もリスペクト、「尊重」という言葉が眩しく光を放つ。

それから、私がいつも大事にしていることは、人は勿論のこと「空間」や「物」に敬意を払うということ。特にエネルギーワークをする仕事場は聖域として、過去生で恐らく身に付いているらしい聖域造りとそれを守るべく身体と感性が勝手に働く。逆に今の自宅など祭壇をもうけるスペースがない状況は不自然で不便、何か物足りない住空間となる。サロンは、2つの部屋をそれぞれ違う聖域としているけれど、全体に対して常にエネルギーを保べく意識を注いでいる。

仕事を終えて帰宅する際、深く頭を下げていく。20分くらいかけて、レイキや神聖化のワークでエネルギーを整えていく。そしてサロンは勿論のこと、自宅であっても、日々、出したものは必ず元の場所に戻し、使いっぱなしという事は我が家には無い。付き合わされる我が子も大変だと思うけれど(笑)常に、「元に戻す」ことで空間を清浄に保つ。食事の後片付けを終えると、必ずインセンスを焚き、空間の波動をリセットする。もちろんエネルギーワークを活用し、日々住空間を浄化、チャージしている。

気がつくとそういう人間だったので、殆ど動物的カンによると言っても過言ではないのだけれど。良い香りと美しい音楽、そして空気にもなるべくこだわり、石や家具のバランスで全体がある意味でグリッドであるとして、エネルギーを常に整え、ハイエナジーのスペースをキープする。それが理想だ。自宅だと中々難しいけれど、可能な範囲で。その分、余計な仕事も多い。けれど、この基本的な姿勢が、何かの結果に繋がっているという感覚は常にある。

話が少し逸れるけれど、例えば人にお世話になったと思ったら、その分のエネルギーを何となく測る。お返しできる部分があればお返しし、エネルギーバランスを保つよう心がける。何かによって心が満たされたり実質的に助けられたりしたら、感謝の気持ちを物差しとして、自分なりにそれを明らかにする。バランスがとれれば、更に宇宙は心地よいフィードバックを返してくれる。

リスペクトとは、人との繋がりや出会いやご縁や、誰かによって自分が頂いた恩恵や、自分の周りにある物や空間に対して、自然にわき上がる感謝の想いで、それを自分なりに何らかの形に昇華させること。私の中ではそんな言葉であり、ニュアンスである。

敬意を払うべきものに払っていないような場面を見る時、なぜそんな事をするのだろうと驚いてしまうけれど、きっと、何らかの理由で、上述の宇宙のエネルギーバランスの法則が、理解できていないか、三次元上の自己防衛本能や利己主義で目や感覚が曇ってしまっているのだろう。。。残念なことだけれど、宇宙は鏡である。全てあるがままを返してくるから、いつかそういう人も気づく時がある。

リスペクト=敬意を払う それは謙虚さと誠実さと、利己主義を凌ぐ純粋さによって支えられる人間の心の営みなのだろう。だから・・・寧ろ、先にあるもの、開拓者、パイオニア、創始者、など敬意を表明する対象にそうすることなく、都合よく利用する様な行為に「リスペクトです」なんていう日本語の使われ方が広まりつつあるのだとすると、それは全く逆の方向性であって、respect という英単語に対して失礼なことだ(笑)。

この言葉に引っ掛けて徒然に語ってみましたが、ちょっと分かりにくかったかな。

宇宙は完璧に正確で狂いのないコンピューターと言える。自身が影響を受けたり恩恵を受けたり、感動を貰ったり、お世話になったりというプラスのヴォリュームに見合ったものを、宇宙に返す(もちろん相手が居る場合は相手に返す)気持ちで、それを表現したり行動に変えたりする。これが、あるべき「リスペクト」であろうと。。。私は思うのであ〜る。

少なくとも、自分は常にその正確なコンピュータを意識し、それとともに生きている。だって遠回りしたくないんだもの(笑)。愛への帰還は、もう折り返し地点を過ぎ、進む方向は決まっている。まっしぐらなのだ。この感覚を示していくことも、仕事の一つだと思っている。宇宙の愛と光が降り注ぐ空間を、聖域を、生み出していくこと。心の中にも、物理的にも。なぜそれが必要か、どんな感性が必要か。自然とハートから湧いて来る敬意、敬愛。優しさ。広めていこう、宇宙レベルの愛のコモンセンス、リスペクトのフィーリングを。

写真はストロマトライト。太古の地球、20億年の歴史を見つめて来た石と、ガイアそのものに敬意を込めて。(リュミエールブランシュにて販売中のものです)
http://www.lumiereblanche.net/crystal/1103stros0.html


Love and Gratitude,
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by energyandcrystal | 2013-02-14 00:39 | エネルギーの処方箋

愛のメソッド

これは、もう5年くらい前になるか、昔のブログで紹介したことのある、エネルギーというよりもイメージを使ったワーク。物でも場所でも、人でも、現象でも空間でも・・愛を送りたいものへ、自分自身のハートから繰り出す無条件の愛のエネルギーを送り込むメソッド。ある種のヒーリングにもなり得る。

送る対象物に合わせた大きさで、漢字の「愛」をシンボルとして描きます。人であればオーラフィールドにほどよく入るサイズで書きます。ちなみにオーラフィールドは、だいたい人体から60cm〜1mくらいの広がりがあります。

レイキ等と同じように、シンボルとして「愛」を描いたら、それがピンク色にパアっと輝いたり、そのピンク色の「愛」から銀色の粒子が放射されたり、送り込んだ先の対象物がそのエナジーと反応しゴールドに輝く・・などなど、自分のイメージングで引っ張って、エネルギーを動かして下さい。

愛という独特の周波数を呼び出す、近づくつもりで。それは癒しや調和、安定、創造をもたらし、また支えます。質のよい愛は宇宙でもっとも高いヴァイブレーションを持つエネルギーとも言えます。万能のヒーリングエナジーでもあり、創造の源でもある。

以前、奈良で住んでいたマンションの部屋からは、大好きな三輪山が見えていて。私はよく、挨拶代わりに三輪山に、山サイズの巨大な「愛」を描いて、送り込んでいました。笑 

とてもとてもシンプルなイメージワークですが、相手が人でも現象や空間でも・・山でも(笑)・・よく効きます。ただ書いて送るのではなく、シンボル「愛」の文字によって、送り手である自分自身のハートセンターの奥からも、無条件の愛のエナジーが湧いてくるようなイメージを持って、やってみましょう。自分自身のハートの活性にもなります。


Love and Gratitude,
Amari
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by energyandcrystal | 2012-11-09 00:23 | エネルギーの処方箋

ハートへのアプローチ

一月前に、小六の娘が風邪をこじらせて喘息の症状が出て来た。けれども、彼女は学校を休みたくなかったようで、喉のひどい痛みからきっと今迄のパターンだと熱が出る、と危惧しながら帰宅したある日、翌日の学校に備えて夕方から早くも寝始めた。

そうかそうか・・。もう大分前になるけど、学校が嫌で嫌で、毎日「休む!」と言っていた時期があった。色々なことがあったけれど、100%満足ではないにしても今、彼女の中で学校は、行くべき所になっている。それは大事なコトだ。母も協力しなくては。

折しも、数カ月前から仲良くなった女の子が、その週末の林間学校を最後に転校することになっている。知ったのは、前の週の終わり。淋しさに浸りながら最後に共に過ごす日々も、一週間しかない中で、一日でも休みたくなかったのだろう。

レイキをベーシックに、寝ている娘の背中や、苦しそうな胸、痛いという喉に手を当ててかける。第一から第三シンボルを順に。でも調子が悪い時は必ず、カルナレイキを使う。カルナの第一シンボルをかける。それだけで・・かなり精魂こめてがんばった結果・・幼稚園時代でも喘息で夜中にヒューヒュー行っていたのが治ったこともあった。カルナは本当に強力。自分の体調不良でも、犬の時でも使う。犬はとくに体が小さいのですぐに効いて結果が出る。

確かに、ウスイレイキだけ使うよりもパワフルでスピーディなのは恐らくカルナのユーザーは皆、実感出来るところだろう。

けれども・・あらら、何故か今日は効かない。目線を変えて、ウスイの第二シンボル、水や女神や慈愛の存在(観音様やマリア様、阿弥陀様など)に通じると言われている、サラサラと澱みを流すシンボルがある。それを使ってみる。娘がもっと小さいころ、風邪の症状によってはそのシンボルがよく効いた。とくに中耳炎や鼻炎など。サラサラと流れるから。。水に関係する疾患だから。。かもしれない。

けれど、これもまた手応えがいまひとつだ。うむむ・・・頭を真っ白にして受信体勢に入る。直感が来た。その日は木曜日だった。友人の転校を知ったのは前の週の金曜日。気丈にも、ショックを表に出したのはほんの数分のことで、あとは平然としていて母はビックリしていた。週末忙しく習い事で過ごして、友人の転校目前の一週間。月火水木・・あとは金曜日一日と、土日の林間学校を残すのみという段階での、風邪の悪化だった。

きっとこれは、ハートに関するものだろうと思った。我慢していた淋しさ、友人が去った後の不安、そして子供らしい林間学校への期待と不安と、そこで親しい友人と過ごす最後の時間について想い巡らし、行事への緊張感とともに色々な感情が交錯しているのだろう。。。と感じた。なので、普段は体調不良には使うことのない、カルナの二番シンボル、「ハート」に関係し、愛と調和をテーマとするシンボルを、ハートに直接入れてみることにした。

そのシンボルは、というよりカルナのシンボルは皆、立体的な光の幾何学であると個人的には思っている。とくにそのハートのシンボルはいつも、頭の中で立体化させて描くようにしている。それを、くるくると回転させながら(立体化すると回り出しそうな形状なので)娘のハートに入れていった。

ハートの中へ、どんどん小さくなったシンボルが入り込んでいく。もちろん色のイメージはピンク。ピンク色のシンボル、既に神聖幾何学となったシンボルが入り込んでハートで回る。ハートチャクラの旋回と共に、幾何学が回る。ピンクの光が溢れ出す。。。。。

それを何度か続けて、「うん」という満足感が来たところで止めた。レイキのヒーリングはいつもその「うん」が自然とやってくる。入れ過ぎてもいけないので、ここまでが程よいという知らせが感覚でやってくる。ラファエルと癒しの天使たちに、更にヒーリングをお願いしておいた。

翌朝まで眠りつづけた娘。
喉の痛みは減ったよう。ホント、以前ならばそれほどの喉痛があると、扁桃腺が大きいので必ず熱を出していた。母のヒーリングも確かにパワーアップしているけれど、本人も成長し、何より治したい、治りたいという気力を、自分が持っている事は大事なファクター。熱の心配は無さそうだ。でも感染した風邪菌は何か、レイキの反動として何かしらの動きをしているようで、顔色が悪かった。でも、気丈に出かけて行った。

そして元気になって学校から帰って来て、大きなリュックサックふたつの荷物をつくり、翌朝、5時に起きて駅まで自転車というハードな流れにも無事に乗った娘。駅で見送った後、その日も、あくる日も、遠隔でヒーリングを送った。都度、「大丈夫」という感覚とともに区切っていた。

一泊二日の旅から、元気に帰って来た彼女の話を聞いてみると、喘息症状は山歩きの最中でもあったし、夕食では鼻が通らずご飯の味が分からなかったとか・・まあ、よくその状態で行って来たものだという感じだった。ホント、レイキがなければ親も行かせないだろうし、本人も、諦めたかもしれない。私たち親子は、長年エネルギーワークや自然療法、クリスタルヒーリングで過ごして来たからこそ、こんな選択も出来た。それも今だから・・・だ。小さな頃はまだ、自然の力だけに頼るのは危険だ。すぐにお医者さんに連れて行って、薬も飲んでいた。

彼女も成長し、色々なことがあった。心身も大分、丈夫に気丈に成長してくれた。友人の転校のショックで引いてしまった風邪、そのことをじっと黙って受け止めようとしたことで久しぶりに出てきた喘息症状、それらを、その子と林間学校にどうしても行きたいという気持ちで、母のヒーリングに縋るという選択肢で乗り切った。出かける前に、「遠隔送ってよ」と念を押して出かけていた。

ハイハイ、と送り出した私も・・・ほんと、色々なことがあった今の学校に来てからの日々を想い巡らせながら、また一人、お友達が去って行ってしまうのだな、と・・娘のハートを労る想いで夜の宿舎へ、翌日の山歩きの道々へ、帰りの車のルートへ・・ヒーリングエナジーを送る時間を作った。そして母も少しは成長したのだろう。「ラファエル、力を貸して!ガブリエル、調整を頼みます!」なんて半ば必死で、以前は娘にヒーリングしたものだけど、

あんなに不調な状態で送り出しておきながら、絶対に大丈夫だという想いが強かった。そこには色々な背景があって、これまでのドラマがあり、詳細に語っていては長大になるので割愛。でもとにかくは、心配は何も生み出さない、宇宙は現時点の自分の意識が投影されたものを自分に返してくる、という所の、意識についての宇宙理論を、理屈ではなく実践として学んで来たことによる。縋るのではなく、設定するようになりつつある。

でも、天使にはしっかり、頼むところは頼んでおく。天使界とは常に仲良くしている。彼らはいつでも力を貸してくれる。自分なりの、こういう時はこの天使、という処方箋?がある。そういうことも、今後は書いて行くと思うけれども・・今日はこのくらいで。

このブログを作ろうと思ったキッカケは、この時の・・2012年9月末の娘へのヒーリングで感じたことの頭の中のメモだった。なので、今日はまずこれを振り返りながら、一番目の記事として書いてみた。レイキや石を生活に生かすことはもうかれこれ、8年以上前から続けて来た事だけれど、自分たちにとっては当たり前になっているこのライフスタイル、紹介することでお役に立てる事もあると感じて、通常のブログとは別に、何かあれば記録という感じで綴っていくことに。

ご参考になることがあれば、お役立て頂ければ嬉しいです。^^

Love and Gratitude,

Amari
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by energyandcrystal | 2012-11-07 00:13 | エネルギーの処方箋


エナジーワーカーが綴る、エネルギーワークとクリスタルのある毎日。=ナチュラル&スピリチュアルなHappy Days の作り方。


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