高次(光)とは取引できない

b0271106_8305779.jpg


自滅の木
その枝にあるのは、空虚感、疎外感、無関心、人間関係のいざこざ、etc.
その根にあるのは、恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫

自己認識の木
その枝にあるのは、生きがい、健康、喜び、やる気、満足、寛容さ、実行力、創造力
その根にあるのは、慈愛、友愛、ゆるし、愛、感謝、親切、温かさ、信頼

     
     by The Book of Peace / Mother Teresa




thanks to: 清水紀子(訳)/メトロポリタン出版

==========================================================

「もう少し状況がこうなったら、〜できるんだけど」
「周りがもっとこうなってくれたら、〜を始めよう」
「〜が整ったら、実行するべく動き出します」

人はとかくそう思いがちですが、状況が変わるのをただ待っていて、それが自分が動き出さない理由だと思い込んでいたら、いつまで経っても何も変化はおきない。適当な時期やタイミング、時流や各人の運気のようなものは確かにある。けれど、外側で何かが変わるまで、自分から準備することをせずに居たら、いつまでもずっと、今ある世界と仲良し。

時期を、タイミングを見る・・・のであれば、
その間、せっせと準備をする。自分磨き、環境や、人間関係。知性や体力、生活力、責任感、大人としての自立。すべて、創造のために必要な要素。活力を養うために、食や日々の生活を見直す必要があるかもしれないし、知性が足りないと思えば磨くのは今の時代は簡単。

住環境の持っている波動が、自分が他者と会った時に醸し出す空気感となる。
本に囲まれている人は知的な感じがするし、花や動植物を愛でている人は優しい印象を与える。

日々、環境や自分を磨いていくことは出来る。
読書をすれば、自分が深まるし、落ちついた空気が生まれる。
ネット検索ばかりでは、周波数の高い知性は身に付かない。

もし・・・

『恐れ、不安、怒り、嫉妬、不信、敵意、罪悪感、自己憐憫』

が自分の中にあるのなら、それを解放していくことに意識を向けよう。
そのためのツール、メソッドを習い、習ったら毎日実践。

自分が放っているものを、宇宙は還す。
創造、顕現のトリニティ。
そこに計算の狂いはなく、現実・外見(容姿の形態の善し悪しではなく)・日々の心や身体に、数字が現れる。そこから自分を知り、見つめていくことを厭わず。変えていくことを恐れず。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


b0271106_9175058.jpg




高次(光の側)とは、取引、駆け引きは出来ない。
あるものを鏡で還すだけ。

もし、取引や駆け引きが、成り立ったかのように現実が自分の思うように動いたなら、その「高次」は光ではない可能性が高い。「高次」は、地球の三次元よりも高い次元というだけで、それがイコール「光」とは限らない。あなたの中に住むエンティティや、浮かばれないご先祖からの負の「三位一体」もあり得る。あなた自身の「ハイヤーセルフ」=高次の自己も同じくで、必ずしも善だけではない、カルマをもった揺れ動く存在であることも考えられる。

創造は、自分の心がスタートを切る。
他者や、状況が整うのを待つのではなく。
取引、駆け引き、待機は無意味であり、かえってカルマを産む。負のスパイラルの始まり。

マザーの言う「自己認識の木」がすべてを物語る。
創造は、まさにそんな根っこから始まり、そんな枝として具現化する。

見てみれば分かる。
自分に何が足りていないかを。何を足せば、自分が幸せになれるか。

高次(光)はすべてを見透かす正確で狂いのないコンピューターシステム。
根っこと、枝と・・・心と頭の中にある、「取引/駆け引き・感」をたまに見直してみよう。
幸せを実感でき、感謝とともに生きられるように。

「あなたはあるがままで」
「もう修行は必要ない」
「あなたはそのままで完璧」

・・・という言葉が、スピリチュアル界に満ちていることこそ、光に向かわせないためのトラップです。あるがまま、そのまま、それも自由意志だから良いでしょう。ただ自分が幸せであれば。。。皆、苦しいからスピリチュアルを求める。ならば、「そのままで」良い訳では無い。変化を起こさなくちゃ。そのためには、自分から動きだし、自分で気づき、自分で責任を持ち、収穫する。

「自己認識の木」

b0271106_9182057.jpg


Love and Grace,
[PR]
# by energyandcrystal | 2015-07-25 09:27 | エネルギーの処方箋

祈り。それは私なりに・・委ねの道。

b0271106_14571333.jpg


フルグライト。砂漠に落ちた雷の衝撃で、砂がガラス化したもの。
雷管石とも、閃電石とも言われる。

私がこの石を知ったのは、だいぶ前だけれどナディアさんが出しておられる『クルスタルアライカード』にて。そこでは、嵐のエレメンツの石として紹介されていて、テーマは『祈り』

変容・変化を劇的に促す。そのための祈りを宇宙に伝える石、そういう存在感。

b0271106_14571956.jpg


原石も、大きいものは珍しく、なかなか見つけられない。石巫女などサロンでの活用のためにキープしておこうと思っているこちらの原石。上の写真で一緒に映っているのはいつもの作家さんのワイヤーワークが美しいシルバーペントップ。これららはリュミエールに出したいと思っていマス。

手にしていると、パワフルで細かい電流のようなエナジーを感じる。暖かくて、意外となめらか。「嵐のエレメンツ」に属するゆえに嵐のようなスピード感のある変容と、濃縮された自然元素が詰まったようなエナジーを齎すのでしょうか。

不思議で何ともいえない魅力のあるヒーリンスストーンとしてのフルグライトの個性とは何なのかと、この不思議な姿を見つめながら想いを馳せてみると・・・そもそも「祈り」とは?という問いかけへと流れて行く。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

19歳から29歳まで、私は仏教徒をしていた。幼い頃に母が細々と読経したり、色々な現象に先祖供養の観点から当たる親族の姿を見ていたけれど、そこで恐らく恩恵も受けていた一方で、思春期の頃、本当にいわゆるオーソドックスな霊現象というか、ヒョウイや、下手をすると霊障によって健康も人生もボロボロになるような展開を、目の当たりにしてしまい、それを何とか助け合おうと信仰の力で乗り切る人々、ヒョウイをあっという間に解いたエクソシストのような親戚のおじさんのカッコいい姿などを見ていたとはえ、幼い私が思ったことは(当然だと思うけど)『こんな世界いやだ、関わりたくない』・・

当然だとも思う。14歳にして、3歳のいとこに低級霊が入り、抜けていく様子を数十分に渡り見てしまったんだから。。そのよく分からないものと会話もしてしまった・・ショックは大きかった。

振り返ると、育った街が一年の半分は陰のエネルギーに包まれているゆえか、その暗い空の印象とともに、中学生以後の記憶は常に、まるでロシアの奥地にでも住んでいたかのような陰湿な空と空気の気配の中で思いだされる。実際に、実家の周辺でも「これは何かありますね」と素人でも思うような因縁の現象化がつづいて、所属していた信仰の世界ではそういう場合、「土地の因縁」と言って、地鎮対象になる。他、病気や家庭内の問題も然りで、先祖供養に励む。

どなたかご先祖のうかばれないエネルギーがその現象として出ている・・土地の因縁が・・と、問題が見つかるたびに人々は対処するという方法をとる。自分と、家族などの他者、他人、会ったこともない人、時には日本国や世界全体などの抽象的な事も。「何かあれば、原因に対して対処する」

その「対処」のもっともオーソドックスな方法は、修行や読経を通じておこなう「念願」というもの。つまり、祈りのパッケージだ。だいたい21日間など日数を区切り、時には「コーヒーのまない」などの「断ちもの」をして臨む。毎日自分で決めた読経のメニューをこなす。または「怒らない」「愚痴をいわない」などメンタルな宿題を自分に課すこともある。

誰しもがそれを真面目にやっているという訳ではなく、色んな会員が居たけれど、地域の集まりや女性の集い、若者たちの集いなどのユニットに所属して活動していると、その中で浮上してきたテーマを一緒に、「いつからいつまでこれをやりましょう」と修行のメニューにしたり、先輩たちから個人の問題を克服するべくおすすめの修行やお経を教えられたりする。

19歳、横浜で暮らしていた学生時代。血は繋がっていないけれど、優しくて暖かくて大きな太陽のようなものを感じていた親戚のおじさんが、急に病気で倒れたと聞いた時。今思うと不思議だけれど突然に、信仰をしようと想い立った。ネガティブな側面をたくさん見てしまい、スピリチュアルな事には関わりたくないと考えていたのに、今思うと不思議な決断だった。自分に出来ることは伯父のために祈ることだと何故かあっさりとそこに至った。私が信仰をすると宣言したことで、母や、信仰している母方の伯母や従姉妹はとても歓び、首都圏や関東での集まりに誘われるようになる。

それから10年。何となく所属している若者たちもたくさん居る中で、性格ゆえに私は火がついたように熱心に修行し、日々の念願、年に一度の修行の登山、観音経を1000回あげる(普通にいくと3年かかる)という修行を3サイクルもやってみたり、真冬の新潟で未明に108杯の水をかぶり、まだ暗いうちに金星に拝礼したあとに、過去生の懺悔を通すための長いお経を読む・・ などの若い娘としてはかなり目立つような修行振りだった。日本の土地を守る神々を大切にするという団体だったため、仏教ながらに神社への参拝をたくさんしていた。

折しも20歳から、偶然のタイミングだったけれど(もちろん必然なのでしょう)京都旅行で比叡山へ行って仏像と仏教の世界に引き込まれ、京都奈良へ沢山行こうと思い立ってまずは奈良へ友人と出向き、何の気なしに旅程に入れていた三輪山を一目見てノスタルジーを感じて、恐らくそこにあった元伊勢のエネルギーなどに導かれたのか、奈良と伊勢を中心に以後、ちょうど仏教徒時代とかぶるように独り旅&古代史・神話探求時代が始まる。。。

そんなことをどっぷりとやりながら、花盛りの二十代の青春も今思えばかなり濃縮した一時期、追い求めて駆け抜けていたかな。でも専ら自分が欲していたものは「スピリチュアル」だったと言えるかも。常に深い部分まで刺さることしか、やりたくなかった。恐らくインディゴ先発隊。魂に通うようなことしか興味がなく、それがハードロックのコンサートであったり、ニューヨークに引かれて語学留学することであったり。青春の矛先は、今の自分の表現に載せれば「タマシイ層まで響いていくこと」だったのかもしれない。刹那的ですぐに消えていくようなジャンルには、まったくもって興味引かれなかった。(だから恋愛なんて全くしていなかった。笑)

ちなみに所属していた信仰の団体は、それなりに全国に会員も居るようなところだけど、世帯ごとに小さな子どものおこづかい程度の会費のみ集めて、寄付やお賽銭は一切受けとらず、何か特別な祈祷などしてもらった時でさえ(その流れに乗るのはまさに天の計らいのような特別なケース)まったく金銭を要求されることなどない、本当に真面目な団体で、ひたすら先祖供養、自分の心を作っていくことに励んでいる。首都圏の若い集まりなどに参加すると本当に女性たちは美しいし、男性も今時ないような芯の入った凛々しさがあり、たとえば女性だと身のこなしや身なりなども気をつける空気があり、信仰によって人が磨かれるとはこういうことかと、二十代の自分なりに学ばせて頂いた。

地方に行くとそれなりにまた状況は違っていて、それを「土地が持っている因縁」ゆえだと説明することもある。中央で常識的に皆が出来ていること、開いている意識が、地方に行くとまったく通用しない。何か負のスパイラルが発生し、グループ意識が下がっているのが分かる。また各地域によって、その土地の歴史的なカルマなどから、実際の会員たちに現れる傾向(たとえば晩婚や病気など)に影響が出るとして、その土地が持っているテーマに皆で取り組んだりもする。

幼い頃から自然体で信仰していたという仲間が多い中で、19歳で自ら決断しその世界に参入したのと、プライベートな自分も土地巡りや歴史に浸かっていた故だと思うけれど、グループ意識ごとはまり込んでいる「土地の因縁」のエナジーを何とか解こうと、自分としては改革・革命?を起こそうという勢いで・・鎌倉仏教の始祖たちの、あるいは世界史の中で人民の意識をひらくべく新潮流を説いて矢面に立つような、そんな勢いでプロジェクトしていたこともあったっけ。。恐らくたくさんの過去生で、信仰、宗教、人々の意識、抑圧や弾圧などを味わっていたものを、その二十代でなぞっていたのだと思う。

スピリチュアルなことに関して、そして実際にその力が作動する場や現象の中で、様々に交錯する良いものも重たいものも、かなり密度濃く味わった。そこに自ら踏み込んだというか・・そうはいっても、今のようなエネルギーと宇宙的力学の知識はそこでは与えられていないので、心身ともにダメージも多い。高揚する場面も、力を頂くことも多々あるけれど、個人として自分という領域を守る術はこれといって無かった。プロテクションの究呪はもうソラでいつでも繰り出せるように皆、親しんでいたけれど(今でもたまに出てくる)、内容を吟味するとまるで「呪い返し」であることが分かる。だからカルマが出来る。それにまた対応する、その繰り返しであると今では見えてくる。

「祈り」も同じだと、実は思っている。

信仰というスタイルは、個々の人間を苦しみから救う力は確かにある。けれどその先は・・

人間とは、本来なんであるのか。自然界と、故郷である宇宙とどのように繋がっているのか。それとどんな風に響き合い、影響を受け取り、結果、良いことや良くないことへとそれが現象化しているのか。良いことを更に拡げていき、良くないことの元になっている要素を(カルマを作らず)なくしていくには、どうすればいいのか。。。

本来、すべての信仰にはそのエッセンスが含まれていた筈だけれど、どこかで、その宇宙の普遍愛の中で機能するシステムに関する叡智は、一斉に失われてしまった。小さく弱いものとして信仰の力で何とか生きていく・・・実際に歴史の流れの中で、「普通に生きる」ことも侭ならない状況にある人々には、信仰が必要であったし、今もってそうだろうと思う。心の拠り所があれば、人は希望とともに強く生きようとする。

ニューエイジの世界でも普通に行なわれる、祈りやそれによく似たものは、違う視点からするとカルマをつくっているとも言える。お互いに影響・作用しあう力学が結びついてしまうと、いつか解かなくてはならない、良いものであっても「しがらみ」になる。これは、人間レベルというよりはソウル、スピリットレベルのお話。今のニューエイジも色々だろうけれど、私が思っているメタフィジカルな「道」のようなものは、自分自身の分身である「ソウル」ではなく、一段高いシステムに居る自分=スピリット(いわゆるハイヤーセルフ)のエネルギーと意識に近づいていく道のりだろうと。

祈りを上手に使い、できれば周りの人々の苦しみや、世界に向けることで結果が現れるならばそれで良いと思う。ただ、こういうジャンルで仕事をして、体験も積みながら10年以上を経てくると、「祈り」というものについても、そこに様々な周波数があり、気を付けて使わないと結局はエネルギーの応酬を生み出すことが分かる。ゆえに「カルマ」。

「祈り」という言葉はたくさん、仕事の中で使っているし(「〜の祈り」など)これからも不可欠であるけれど、自分自身の「願望」にせよ、他者への「こうなってほしい」という想いにせよ、宇宙のより高い視点から見ればそれはエゴであるに過ぎない。だから、なるべく純粋な「意図」に変えて、そして宇宙への宣言、つまり「宣誓」「コミットメント」として自然体で日々、活用していくのは良い。「願い」がどこから始まって、未来の先にそれがどう自分に具現化するかを深く感じたり考えてみると、その出所がエゴであるか、純粋な宇宙とのエネルギー作用のコラボレーションであるかが、見えてくる。

つまり人間として、人間の自分のあれこれを満たすことを願う、そのための祈りはエゴから来る。その祈りは、うまくいって成就されるかもしれないけれど、エゴセルフのレベル(人間の人格)が起こした力学だから、そこに自分を縛り付ける。もちろん、人はみなこれをやり乍ら生きているし、悪いことでは全くない。願う事、それに基づいて祈ることは、ごく普通の感性の働きだ。

けれど、地上の「パーソナリティ」(人間)レベルで動かした力学は、スピリットの層から見れば自分の魂の子供であるソウルの転生のタペストリーに交錯している雑音のようなものかもしれない。エイっと上に引き上がる、宇宙愛への回帰にとって、それは小さな画鋲であちこち留められているような状態。原因と結果の繰り返しを、またこの層に戻って続けていくのだろという、そのための布石たち。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

恐らくまだ「画鋲」が必要、「画鋲」で留めておきたい人と、もうそれは抜けて行く事が生まれてきたスピリットの目的であると深い所で分かっている人が居る。殆どは前者だけれど。

「委ね」とか「あるがまま」とか、言葉は簡単に飛び交うけれど、

色々な情報に「混乱している」という言葉も、サロンのクライアントさんたちからよく聞いている。もちろん、そもそもこういう世界で「情報を得て落ちつく」ことは不可能で、情報をある程度、それも選び乍ら集めたら、その先は自分自身の内側で、エネルギーの力学を起こさなくてはならない。自分の身体の細胞と、オーラフィールドに融け込んだものを発信していくと、聞いた人・読んだ人にもその作用が起こり、エネルギーは動き出す。それが、情報を得て、情報のまままた横に流すような現象も起きているために、それを見た人たちのエネルギーは動かず、ただ頭だけが動いて混乱する。

三次元人間をたくさんやって来たから、誰しもが恐れるし、何かに「委ねる」なんて怖いと本能的に思ってしまう。けれど、誰かよく分からない大きなものに委ねるのではなく、自分自身の高い所に委ねるのだと思えばいい。それと、自分自身とは、その高い所から今ここに滴が垂れるように降りてきた存在であると思うことで、委ねがやりやすくなる。

地球という地図の上にたくさんばらまかれた自分の分身たち。転生してきたソウルたち。そこで関わった様々な他のソウル、土地や事象などに宿るエネルギーとも、人は絡み合いながら繋がり合っている。今を生きる自分が幸せであるかを、メタフィジカルな目的だと思っている人は、それで良いと思う。それを大前提として・・(そこを通過しないと進めない訳で)・・・より高い視点からの自分自身のスピリットの眼差しを、人生に感じている人は、その眼差しこそが自分が戻る視点であると感じている人は、今生の自分のソウルが落ちついて来た、『願望』はもう要らないと感じるようになった人は・・・

画鋲を少しずつ、外していく行程に入ってみると良いのかもしれない。

それが「委ね」だろうと思っている。

その潮流が見えて来る頃には、委ねる恐れというのは、なくなっている。

だから、恐れるうちはまだ、無理せずに「願い」「祈り」「受け取り」「感謝し」「そこで生まれたものを引き受ける」この循環の中に、生きるのだと思う。

潮流が見えることは、楽しい訳でもなく、今の人類が居る世界がそこから離れている分だけ、両者の間に居る者は、切なさを感じる。マリア様や観音様の「慈悲」は、そういったものだと思う。高次存在たちが、人間に対して感じる愛が「哀れみ」であるのは。そんな慈悲の心境を持ちながら、ソウルを選び、スピリット層が直に高いパーセンテージで自身の要素を流し込み生まれて来た人たち(=いわゆるライトワーカー)が居て、そういう人々の場合、そこに気づかず、またはそれを恐れて避けるような回り道をしている間は、苦しさ、居心地の悪さ、現実の循環の不具合が続く。

ちなみに、本当にそれを分かって降りて来ているスピリットたちは、慈悲という痛みを携えてやって来ていて、まずは人間の身体の中でそれを越えていくことに励み、それが成就した時にはホっとした委ねの境地に入るので、『自分が特別な存在である』と地上人類的な虚栄に入ることは無い。それすらも委ねられるはずであり、祈りと委ねが一体となっていく。ただここに在る自分を使って下さいとスピリットに委ねる。それは安直に使われる「もう犠牲は要らない、人生を楽しもう」というお話とは全く波動が違っていて、人生を楽しもう・・の想いが実際に満たされるか、その奥にあるものを知ってしまい三次元的願望を越えてしまうか、どちらかによって自然に至る境地だと思う。

フルグライトを眺めていたら、最近思っていたこととを吸い寄せ、随分と思考が展開してしまった。。。(長過ぎた/笑)

このくらいにしておきます。

Love and Grace,
Amari
[PR]
# by energyandcrystal | 2015-07-11 08:33 | 想い・思考・つれづれ

男性性は「設定」次第?

b0271106_8484775.jpg


レザー製品というものは、私の中では「社会で生きる自分」つまり「男性性」要素の象徴のようなもの。若い頃も好きでした(独身貴族時代/笑)が、その後、好き好んで「苦学生」に逆戻りし、そこから一児の母へ、主婦へ、貧しいシングルマザーへ・・・と移り変わっていくなかで、本革製品からはやはり遠ざかっていた時期がありました。

大げさに聞こえるかもしれませんが、でも今思えば生活はまったく違い、姉が買ってはいらなくなったそれもお値打ちな(シ●ム●とか)服などが宅急便で届き、有り難く着ていたような時代もありました。若い頃に買い溜めたブランド服やCDや、売れそうなものはすべて、貧しかった新婚時代に売ってしまったので。赤ん坊だった娘の児童手当(今でいうこども手当)と、シングルマザーが頂ける扶養手当くらいしか(月5万円以下かな)収入が無い中で、2000円のアイテムをネットで買うにも罪悪感に苛まれ諦めたり、500円の本を書店で買えずにトボトボと帰ったり。そんな時代もありました。

保育園に入るという時に、今の仕事を何とか間に合わせて開業。とにかく必死でしたネ、そうでもなかったら、トボトボ生活をもう少し長くやってしまったかもしれません。両親の家に同居でしたから、出来なくもなかったので。2004年に開業し、最初は破れかぶれでしたが、3〜4年経った頃でしょうか、シングルマザー用の児童扶養手当の所得制限を越え、頂けない(ほど稼いでいる)という認定を。。(笑・たいして稼いでなくても、少しでも安定するとダメなんです、日本の制度は)いただき。それから、お陰さまで基本的にはずっと、右肩上がりというのでしょうか。後退することもなく、少しずつですが自転車操業の車輪も、大きくなっています。開業5年目くらいから、有り難いことに消費税を払わなくてはならないラインも越えさせて頂きました(笑)。

もちろん家族の協力により支えられていましたが、資金があったわけでもなく、その点では援助が(親から)あった訳でもなく、ネットショップもノウハウがあったわけでもなく。ヒーリングもヒーラーとして開業してから尊敬する先生のところへ2年弱通い、多くを学ばせて頂きましたが、それ以外は基本的にはひたすら独学。瞑想やセルフヒーリングの日々を繰り返し・・(習いに行く心と時間とお金の余裕が最初のころは無かったのですから)ひた走ったなあという。

少し落ちついて来たころに、大阪まで、あるお勉強に通っていたことがありました。そこで起きたある出来事から、ひどく落ち込んで・・それが(ある意味その怒りが)不足していた火のエレメンツを私の太陽神経叢の中で燃やすことになり。帰宅する途中に寄った百貨店で、久しぶりに革の、それもごっつい質感のバッグと、今でも愛用している革の手袋を買いました。何となくその時も自覚として、それが自分なりの「私はグラウンディングしっかりしている。こう見えても社会性もあるれっきとした働き手だ」という、象徴としてレザーを持ちたいという気持ちに、衝動的に向かったのだろうと思います。

実は、まだそんな苦労時代に入る前の、二十代で、自分のことだけ考えて親元で暮らして安定した仕事をしていた、ほんの3年くらいの短い『独身貴族』時代には・・・ロックな姉さんだったので、職場はちょっとゴシックな黒系のベルベットとか薔薇もようの(コンセプトは「貴族」/笑)ロングスカートやワンピースを着て、靴はなるべくごっつい革。そして24才でロンドンに行ったときには、ほんとにロックバンドのメンバーが着ているようなロングの革コートを買って歓んでいました。(もちろんそれは、新婚時代に売りに出しましたが)

本来は革好きなのです。(動物愛護の観点から、レザーを考えると申訳ないのですが・・)

2008年だったでしょうか、大阪からの帰りの失意の中で久しぶりに買い求めた革製品で、昔の自分の何かが再び目覚めました。それ以外でも、なるべく良いもので自分の周りをしつらえると運気が変るのは確かなので、少しずつ、ゆとりが出るたびに少しずつ、着るものや持つものを変えていきました。確か、奈良のサロンを出したのはそのころ、2008年の冬だったかと思います。

たくさんの石たち、そしてサロンを出したことで家具を買いそろえるべく、アンティークにも興味を持ちました。今の横浜のサロンや自宅にある家具は、殆どその頃に凄い勢いで買いそろえたもので(笑)、当時は両親と同居だったので生活費が今とは比べ物になりませんでしたが、結局、今思えば今にも通じているような必要なアイテムや石たちを、確保していた時期だったのでしょう。なのでゆとりが無い、自転車感覚は今と同じでした。それでも、この仕事をしてきて、見えないものから見える世界や空間が、石たちとともに出来ていくことの歓びに、高揚していた幸せな時期でした。

本当に皆さんに言いたいのは、お金や豊かさというものは、ただ恐れを捨てて自分を信じて宇宙を信じていくことで、必要なものは用意される、ということ。カレッジやサロンで話していても、やはり(当然ですが)皆さんお金に対する(失うことや不足する事態になることへの)恐れを抱えています。何か特別なセイフティネットが私にあった訳でもない。ただバカみたいに信じ続けて走り続けました。それだけ・・そして今は、豊かさの法則の量子的な意味とコツを、掴むことが出来たと思っています。恐れて慎重になったり、心配した分だけ、お金は遠ざかって行きます。それを忘れないで。

2010年の3月、今もサロンの顔になっているロシレム神殿がご縁あって来てくれたことで、なぜか、横浜へ出張しようと思い立ちました。その時に、新幹線に乗ることもホテルに泊まることも久しぶりだったので、更に一段階、着るものから持ち歩くものをより良いものへと。色々と調べて買い集めました。その中で、文房具とかサイフとか靴とか、男性性を象徴するようなものを良質のものにすると、社会性や経済的な運を呼び寄せることが出来ると改めて感じて、実行しました。

もともと自然派も好きだったので、リネンや布製品にも拘りはじめ、久しぶりに泊まる、それもセッションでお客さんに来て貰うことからグレードの良いホテルだったので、そこを歩いていて恥ずかしくないようにキャリーケースや、自分にとってはとても贅沢なお値段の革のバッグを新調し、いざ、出張へ。それを2度、行なったときに・・・今の、娘の学校にご縁が出来、2人で横浜へ「親子留学」のための引っ越し。最初の横浜出張から、半年も経っていませんでした。

奈良でかかっていた生活費の、2倍、やがて3倍へと、出費がふくれあがっていく中で、何とか必死で稼働して、それでも「心配すること」は決してせず、常にお金に関してはポジティブであろうとしてきました。自分が動けば、働けば、必ず必要なものは揃う。ただそう信じて。そして宇宙は、高次の自分は、本当にそのように機能しました。横浜でも1年半で引っ越しをし、サロンを自宅から外へ。憧れていて「まさか」と思うような青葉台の徒歩圏内で、サロンを見つけて。自宅も見つけて。犬たちを迎え、一人、二人、そして三人目をこの春に迎え。娘の学費も年々上がっていますが、何とかなる。常に何とかなっている。それは、「何とかなる」と自分で信じているから。

娘は「ママがこうしたいね、と言い出すことは、必ずかなっていく」とよく言います。なので、最近わたしが「こうしたいね、無理だよね」と呟くことがあると、娘のほうがそれが実現すると確信しているような所がある。その意味では、良い「背中具合」を、母としてまた父として、娘に見せてこれたと自負はあります。

そしてこんなことを通じて、三次元の物質社会を、楽しんでいるのかもしれません、私は。やってみたかったんでしょうね、スピリット。(笑)

とはいえ、「物理世界ゲーム」はもう卒業宣言をし、最近では優雅にゆるりと楽しむコツも掴んで来ました。開業を考えているヒーラーさんの卵さんたちがたくさんいらっしゃいますが、扱う領域は三次元を越えた高次エネルギーだし、その宇宙の法則に沿って仕事をしていくはずなのに、なぜか頭の中では三次元のお金に関する不安を抱えているという不思議な状態に、皆さんが陥っています。気づいた人から、そこを変えて行けると良いですね。サロンは、自分を信じてガイドたちを信じていられれば、うまく回っていきますよ。そういう世界です。そしてそこには「責任」がいちばん試されます。自己波動責任ですね。。自分が放ったものを、結果として受け取る。それさえ分かって、それを受けとめる気概さえあれば、大丈夫です。(そしてちゃんと受けとめて下さい)

さてさて、
話が逸れてしまいましたが、少し前の読書会やカレッジで、女性性と男性性について話していたとき。自分の女性性をうまく輝かせていくには、自分の中の男性性を機能させ、その活動力によって女性性のあるがままのパワーや存在感、愛などを「運営」していく必要があるでしょうね・・と語っていました。振り返ると、ずっと変らない自分が少女として、女性として、母親として、まっすぐ変遷していく中で、ではそれと社会性をどう絡めていくかとなると、そこには自分の男性的要素が、そのときどきであり方を変えて、外への、社会への、家族も含めた自分以外の人々への、アウトプットや表明に、なっていたと思います。

そんな会話をしていたすぐ後に、サロンで「ガイアコネクションwithヴァイアマス」のセッションをさせて頂いたある日。ガイアは、ただ在る。女性性は宇宙において、最初に生まれて、生み出し育む力として、ずっとそのまま、「在る」ことをする。ただ「在って」、産んで、育んで、見つめていく。そこに、男性性の宇宙の壮大な意識ヴァイアマスが、地球を運営するために、大いなる意図のもとで、「婿入り」する。宇宙における、惑星の「聖なる結婚」(ヒエロスガモス)。

「男性性は、ある意味で純粋、ピュアで、無垢で、設定自体でいかようにもなる。破壊的な時代を創りたかったら、ヴァイアマスの設定をそうする。分離の時代、調和の時代、女性的なヴァイアマス、男性的なヴァイアマスの設定により、ガイアとのバランスに様々なヴァリエーションがその時々で生まれ、結果として、ガイアの帯びるものが変る。それが地表世界や文明に影響を与える」という情報がやってきた。。。

そして、
「これからの新しい文明期を人類が迎えていくために、ゆえにヴァイアマスの設定、プログラムに働きかけ、変えていく必要がある。それを行なう役目がある」と、その方へのリーディング。

もちろんお一人で、ということは無いのでしょうけれども、そういうグループの方々がいらっしゃるということでしょう。

「一体どうやって、ヴァイアマスのような大きなものの設定を変えるなんてことが出来るのだろうか」と私もう〜んと考えていると、お客様ご自身がその方法に気づかれました。なるほど!

そんなこともあり、ヒトのレベルでも男性は、女性よりもピュアだったりします。クセがあり、アストラルな影響が強い為に自我を変えにくいのは、男性よりも女性だし、恐らくどんな時代でも、あまり変らないのが女性ではないかな。対して男性の変遷が、この文明期の歴史の変遷だと言えるくらいに、男性というものはそのときどきで自身のスタンスやあり方を変えていくのではないか。ヒトレベルに照らしても、なるほど納得でした。

ということは、逆説的に。。。
母なる地球、母なる宇宙、産んで育むものとして、慈愛をそそぐものとしてずっと変らないという核を生命原理として持っている女性たち。そこにかぶさる、前時代のもはや不要なスタイルのインプットとしての男性性を、新たな時代の設定=女性性に寄り添い調和の時代をもたらし、キープする という設定に、変えていけば良いのです。

そしてそれは、単に生命形態としての「男性女性」の話ではなく、女性たちも、自分の中の男性性の設定を、変えていかなくてはいけません。どんな風に?

恐れや分離が、人類をコントロールしてきたこの1万年ちょっとの「設定」から自由にならなくてはいけません。それは本当に「設定」に過ぎないと、まずは知らなくてはいけません。

そして、恐れや分離にもとずいた、心配で先回りするような男性性の使い方を止め、自分の中の女性性を輝かせる、それを持ち上げて活躍させるような形での、男性性を自分の中で育てて認めていく。自分自身の中に、調和の時代の設定を作り上げていく。そうすれば、女性的な表現としての「地球に優しい、人に優しい」貴方のお仕事や人生は、ごく自然に現実に顕現し、うまく流れていきます。

もちろん男性にも、同じ事をお伝えしたいです。

自分の中の「男性性」設定、見直して修正してみませんか?

そして大きなお仕事に意識が向く方は、地球の奥深くで結ばれているガイアとその夫であるヴァイアマスの、プログラミングが変っていくことを意図しましょう。アクエリアス時代に向けて。

いつもと違ってなぜか「ですます」調で書いてしまいました。

Love and Grace,

Amari
Arganza: http://www.earthkeeper.jp/arganza/
世界樹 books:http://www.lumiereblanche.net/works/index.html
[PR]
# by energyandcrystal | 2015-03-30 10:16 | 想い・思考・つれづれ

専門家(プロ)・一流・聖人(セイント)

b0271106_16462363.jpg

b0271106_1643227.jpg


Lumiere Blanche でup準備中。シャッタカイトシリカ&ラディアンスジャスパー。

もう何年か前のことになる。娘の習い事の発表会が近くなり、通し稽古やリハーサル、衣装合わせ、ゲネプロなどなど、日が進むにつれて不定期な練習の日程が増え、時間もまちまちで夜遅い日もあり、さて親も送り出したり迎えに行ったり、食事や小腹対策など、日程を合わせて動くのが大変だと思っていたころ。我が家にとっては初めてだった発表会、実は当然のように母たちの仕事分担という話が来た。

私のような自営業者、それも背後に柱が無いので常に自身で柱を立てていなくてはならない身分だと、「突然の予定外の用事が入る。それも自分の意志に関係なく」というのが一番、実際的にも難しいし、心情的にも困惑する。今も親たちの力が支えています、という共同体的な学校に通いつつも、一年間の日程が先に決まっているような係を選び、手を上げている。そうでないと、急に「この日頼むわよ」といわれるとクリエイティブな仕事や瞑想的・波動的メンテナンスも含め、かなり仕事に影響されてしまうので、私のようなスタイルの仕事人には、相性がわるい。

ううむ。と、参加は義務という空気にあたまを悩ませていると、ツイートやブログで連絡事項や娘たちの動向を見ようと先生のウェブスペースを覗くたびに、次第にカリカリ、ピリピリされてきて、何かあったのでしょうけれども、教え子の母親を揶揄するような書き込みを目にした。うっすらショックを受けていると、母たちに向けて一斉にメールが送信された。

目を覚まして〜、心からの仕事をして〜 プロの仕事をして舞台を支えて〜 もうあと・・日しか無いんです、責任を持って仕事をして〜 うんぬん。。。「あれれ?」

長年、通っていて、何度も発表会に出ている方々はご存知だったのでしょうけれども、入ってから2年、一度もそういう話を聞かないまま、本番近くになった時に母たちが「プロの仕事」をして舞台を担うのだということを知り、本当にびっくりした。そして、更に先生の煽りはつづき、またウェブでのキリキリしたご様子も続いていって。

とてもクリエイティブなお仕事をされている先生なので、オリジナルですべてが構成されていて、舞台も細部までこだわりがあって、前回の(うちが入会する前の)舞台も素晴らしいものでしたが、こういう急激な事態が目の前に心の準備なくやってきて、私のような、やはりワンマンで長年(もう10年)仕事をしてきて、自分のペースやコンセプト、仕事の外周にある調整の時間やその周波数まで大事にしようと(ある意味死守しようと)している人間が、どうやって対処したと思いますか?

なんとか、合わせようかと考えたことも。入ったばかりの何も(普段の練習のことも)分からないお母さんでも、先生の煽りのメールに「はい!」と返事をして、期待に沿おうとされていた。・・・が、私は考えてしまい、とても同調できずに、最後まで自分のいつもの調子を貫き、そして同じく激化していたレッスンに「もういい」と言った娘の意志を確認し、母としての手伝いを殆どしないまま(恐らくひんしゅくを買ったことと思うけれど承知の上で)発表会を観客席で観覧し、笑顔で先生に挨拶し、その後退会希望を出したという流れ。

ヒーラー業を長くやっていると、当然ながら「批判することなかれ」は身について(自分が批判精神を内在させていたり人をジャッジするクセがあると、自分がされますからネ/苦笑)いるものの、何かおかしな事が起きているんじゃないかな、これでいいのかな?と、疑問を感じたのだった。。とても個性的で、良い意味で「マニアック」な表現活動をされているけれど、子供の習い事である限り、発表会の対象は親達や祖父母や親類縁者など。高い芸術性よりも、可愛く活躍する姿を見に来ている観客たち。けれど先生の拘りは深く、そのために自身を追い込んでいるので、とても苦しそうだった。

もちろんそれは「産みの苦しみ」であり、公演が済んだ時は感動と達成感に変るのだということは分かっている。手伝っている母親たちも、道のりが大変なだけに、そして我が子の奮闘と晴れ舞台に、感動する。けれど、観客も、子供を習わせている親たちも、先生の表現したい芸術性を理解出来ている訳でもない。出来ている人、ファンで親子で在籍している人も居るとは思うけれど・・・こういう事って本当に難しくて、幾らその分野で自分が自分を厳しく創作の怒濤の中へ追い込んだとしても、それを一緒に引き受けるつもりでそこに居る訳ではない人々を、「早く、貴方も飛び込みなさい。そして私を理解し、助けなさい」と言うことは、出来ないのではないかというのが、私の考え。

というより、それが芸術などの世界で通っていたとしても、エナジーワーカーの感覚からするとエネルギーバランスはよくない。相手から不当にエネルギーを奪うことになるのではないか。子供の健康や楽しみとして、習い事をさせているとくに姉妹グループの幾つかの、小さなお子様たちやその親たちは、その先生の「真剣さ」と「独自の世界観」に付き合わなくてはならないのは、通常の習い事と違い、少々ハードルが高い。。。

そして、日頃のお月謝は勿論のこと、発表会のためにかなりの額を親は支払い、衣装代もかなりの出費。そう・・あくまでも「子供の習い事」としての「対価」を、親は支払っている。けれども、見に来るのが身内や親族が殆どということもあって(恐らく)、公演が無料。だから、「プロの仕事をして舞台を支える」のが、母親たちという人員になる。という構図。通常の習い事であればもう少し複雑ではないのかもしれない。先生の表現者・創作者としての拘りが、質の高い舞台を作ろうという姿勢で燦然と輝いているのは分かるけれど、実際にそれを取り巻いている状況が、エネルギー的にはかみ合っていない。アンバランスなのだ。

だから、先生はいつもどこか不安で、カリカリしている。自分を繰り返し励ますような文面を常々、ブログやツイートに上げてらっしゃる。そういえば、発表会よりもずっと前から、それらを目にしていて私は、なぜそんなにも自己肯定を繰り返しウェブに刻まなくてはならないのかな・・と思っていた。きっと自分の中で自分を責める疑問符が、常に心に頭にあったからだろう。人間心理やエネルギーのバランスを自ずと常に読んでしまうのは職業柄で、こういう親が居るとやりづらいことと思う。申し訳ないけれど、丁重にお礼と感謝をお伝えして退会させて頂いた。

その流れの中で思ったのは、「芸術家は創作のためにピリピリすることがある」とそれまで考えて来たけれど、本当に一流の人はどうなんだろうかと。世間での評価という意味ではなく、密やかに知る人ぞ知る「一流」の作家や表現者って居るだろうと思う。そういう人は、発表の機会が迫って焦ったとしても、周囲の人に当たったりしないのではないかと。

エナジーワーカーとして・・どうすればエネルギーのバランスが取れるのかと、この時に考えていた。そこまで自分の芸術性を追求し、それを表現することを大事にするのならば、「〜教室」の発表会という感覚を完全に超越して、「劇団」であるという設定にして、公演に対するスポンサーを自らの努力で(自己表現のためなのだから)開拓し獲得し、その援助を得て、母親たちではなく仕事として請け負って動くスタッフを雇い、公演を有料にし、その成果を、日頃の大事な「お客」でありスポンサであるはずの親たちに、客席で見てもらう(その公演を手伝っている母達は本番を見れなかった事に私は驚いた)。そうすれば、先生はどこかでいつも自分を責めることなく、不安に苛まれて人に当たったり、ツイートで母親に当たったりすることもない筈。

とても素晴らしい感性をお持ちの先生で、先生自身も素敵な方なので、残念に思った。けれど世間ではエネルギーの仕組みまでは考えていないことが多いだろうから、こういったことも世の中の常であるのかもしれないけれど。仕組みに気づいて、バランスがとれるようにすれば、皆が気持ちよくその現実を共有出来る筈なのに。。。

専門分野を極めていくうちに、人間としての内面、引いては魂から自身に磨きをかけていくと「聖(ひじり」のような存在になるのだろうな。少し前のオリンピックシーズン、高橋大輔選手などに(お若いけれど)それを感じたりもした。アスリートもオリンピック選手ともなると、そういう方々はいらっしゃるのだろう。

そして・・・この時の思索は、ワンマン体勢でサロンとお店をやっている自分に本当に教訓として刺さった。「反面教師」とまでは言わない。素敵な先生でとても良い方だったから・・・ただ長年、自分の思想や感覚で、自分の肩に多くのものを載せて歩かなくてはならない環境が続くと、きっと見えなくなるのだろうと思う。「分かって(理解して)くれる」ことを当然の義務のようにして待ち受けてしまい、そうでない空気に不安になり、自分のやり方を責めてみるべきかという悩みが生まれる。私自身もこういうフラストレーションがこれまで、全く無かった訳ではない。それだけに、この先気をつけなくてはならないと思ったのだ。

15年ほど前は、とある学者の先生の秘書を3年間務めていた。とても優しい紳士で、一目見ただけで天才だという風情。凡人とは顔から滲む空気が違う。尊敬し、一生懸命仕事をしていた日々だった。穏やかで朗らかで、けれどその天才的な空気と業績だけに部下の先生たちは良い意味での怖れも抱いていて、基本、研究室はうまく行っていた。。。けれど、どこかに歪みがあった。特に現れていたのは、歴代の秘書たちとの関係。別に不倫だとか恋愛めいた話ではなく(笑)、男性的な序列が通っている研究室のトップにある教授が、弱い所を見せたり、当たったりするのはやはり、身近な女性たちなのだ。

私は比較的・・この性格ゆえに・・教授も察してそれなりに接してもらっていたため、秘書なのに「姫」という渾名が付いてしまい、教授の他の秘書たちのような「甘えや当たり」は殆ど無かった。けれど、先輩秘書さんや、アルバイトで入った女の子が何となくそんな空気で、ある意味母親のような、ある意味で奥さんのような、何となく濁ったような難しい揉め方を先生としていたり、疲れ果てて辞めて行ったりする姿を見ているのは、辛いものだった。そんな流れに飲まれて、私自身も疲れて辞めてしまった。

この時も思った。「たとえどんなに専門分野で自分が偉くても、自分を取り巻いている小さな輪の人々を巻き込んで嫌な気分にさせたりしてはいけない」と。きっと自分はいつか自由業(当時は研究者や作家になりたいと思っていた)に就くと思っていたから、「これは未来のための教訓」と心に刻んだ。。。まだ二十代前半のことだった。

最近読んだとあるチャネリング本に、書いてあった。。人に対して与え過ぎていたり、逆に人のエネルギーを使って自分が何かを得ていたりすると、ハートが「違う」「これではいけない」というサインを出してくるから、心が痛んだり、どこか苛まれたりする。エネルギーバランスのあり方は、ちゃんと自分自身の中から見えて来る筈なのだ。バランスが取れていれば、いつもスッキリしていて、何かに対して何かで置き換えたり、どこかの穴を何かで埋めたりする必要もなく、必要な要素が必要なだけ揃い、気持ちよく現実世界で表現されていくはずなのだ。

大分前の出来事だけれど、いつか書きたいと思っていて。。。

ヒーラーも、まずは専門家として看板を上げてプロとして仕事をしていく責任感や質を持つことは当然だけれど、その先、心や精神を磨きつづけ、透明な水晶球のような境地、やがてはセイントの境涯を、目指していく道のりであることを、実感したり思索したりする。何も人に一切迷惑を掛けてはいけないという意味ではなく、自分の醜いところや弱いところを見せるのだって時には良いと思うけれど、何しろそうしてアウトプットしたエナジーは必ず自分に戻ることをエナジーワーカーは知っているものだから(笑)・・・・・透明な球を、やはり目指していくのだろうと思うのであ〜る。

love and grace,


Main Blog : 世界樹の木影で http://sekaijunokokagede.cocolog-nifty.com/blog/

Shop : Lumiere Blanche http://www.lumiereblanche.net/

Salon: Arganza Yokohama http://www.earthkeeper.jp/arganza/
[PR]
# by energyandcrystal | 2015-02-03 17:57 | エネルギーの処方箋


エナジーワーカーが綴る、エネルギーワークとクリスタルのある毎日。=ナチュラル&スピリチュアルなHappy Days の作り方。


by energyandcrystal by Amari

プロフィールを見る
画像一覧

外部リンク

カテゴリ

全体
エネルギーの処方箋
クリスタルのレシピ
自然食&自然療法
母娘(おやこ)エネクリ
想い・思考・つれづれ

以前の記事

2015年 07月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 04月
2014年 02月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 11月

最新の記事

高次(光)とは取引できない
at 2015-07-25 09:27
祈り。それは私なりに・・委ね..
at 2015-07-11 08:33
男性性は「設定」次第?
at 2015-03-30 10:16
専門家(プロ)・一流・聖人(..
at 2015-02-03 17:57
サイキックとヒーリングをめぐ..
at 2015-01-15 00:38
太陽の力、そしてバランス。
at 2014-12-31 09:22
ゴールドがまぶしい
at 2014-11-18 23:54
独りで生きなさい
at 2014-11-05 15:27
二つの性という難しさと、それ..
at 2014-09-30 21:52
天空のブルーは、『自己責任』..
at 2014-08-18 22:33
美味しい時間
at 2014-07-23 04:56
かめばかむほど/宇宙びとのブ..
at 2014-07-11 17:19
ユーディアライトの話
at 2014-04-29 11:06
調整期のチャージに☆ベランダ..
at 2014-02-26 00:21
when you feel ..
at 2013-12-31 18:37
上にあるものは下にも。内にあ..
at 2013-11-20 17:01
サイキックアタックの正体。
at 2013-07-02 01:58
スギライトの話−2「赦し」そ..
at 2013-06-05 10:31
スギライトの話−1 「広い愛..
at 2013-05-30 14:09
時間とお金の感覚が弱い人への..
at 2013-04-11 01:34

検索

フォロー中のブログ

ブログジャンル

スピリチュアル

ライフログ














ファン

画像一覧

その他のジャンル